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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
三十.最高の別れ方
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三十ノ01

 大学生くらいだろうか、すわなちJDくらいの人物が、「こんにちは」とはっきり発声しつつ、入店してきたのである。右手にはハンディカメラ。白と水色のストライプのワンピースをまとっていて、こんなことを言うと偉人たる彼女に失礼なのだが、若き日のオードリー・ヘップバーンように見えなくもなかった。


 肩までの髪は絶妙な感じで若々しく整えられている。そのわりにはなんだか古風に映る。意識してやっているのであれば、ある意味、なかなかアグレッシブだと言える。なんに対して? 男性に対してだ。


「店主さん、ですよね?」

「そうだが、女、その右手のハンディカメラはどうにかならんのか」

「率直に言いますね」

「率直に言え」

「店内、撮ってもいいですか?」


 もう撮っているだろうがという文句が喉の手前までせり上がってきたのだが、そこは私も大人なのである。


 私が「大学の映研か?」と訊ねると、「そうです」と返ってきた。「雰囲気がある古本屋です。こういうの、素材に使えるんです」と続けた。


「好きなだけ撮っていけばいい。私は大らかなんでな、嘘だが」

「嘘なんですか?」

「ああ、嘘だよ。じつは私は狭量だ」

「ですけど、撮らせていただきたいです」

「だから、もう熱心に撮っているだろうが」

「パソコン」

「は?」

「パソコン、お借りできませんか?」


 まったく図太いことを抜かす女だと思った次第だが、「ここに来るまでのあいだ、あちこち結構撮ってきたので、その確認をしたいんです」とのことだったので、ま、貸してやろうと考えた。


「しかし、おまえの距離の詰め方は忙しすぎるな。このご時世だ。あまり他人に深入りせんほうがいいと思うがね」

「心得ていますが、心得ているだけであって」

「なんだ、その怪しげなセリフは」


 そんなふうに言い、吐息をつきながらも、私はくだんの品を貸し出してやった。レジ台にノートパソコンを置いてやった。ケーブルを使ってカメラと接続し、内容を確認している様子。


「うーん……ここまでシュールな映像だったとは」

「なにを作りたいんだ? どういった映画を撮りたいんだ?」

「それはおねえさんに話したところでしょうがないことだと思います」

「そうだな。そのとおりだ」


 茶の間の端から腰を上げ、私はパソコンの画面に映し出されている映像を見た。下町によくあるような銭湯において、下半身も露わな男ら三人が、石けんを投げ合って、なにやら言い争っている。呆れた。よくもまあ、ここまでくだらない()を撮ったものだ。


「この映像はなにを目的として撮ったんだ?」

「たとえばです。たとえば、この三人の男性のうちの一人が、べつの時間からの訪問者であるとするなら、どう思いますか?」

「べつの時間からの訪問者とやらが、石けんでの戦いに興じているのか?」

「ダメでしょうか?」

「おまえが言ったとおりだ。背景はどうあれ、ネタにするにはシュールすぎる」


 女は「うーん」と首をかしげたのだが、それほど困っているような雰囲気は感じられない。至極真剣な顔をしている。根っからの馬鹿なのか、清々しいばかりの阿呆なのか。


「なにがいけないと思いますか?」

「だから、男同士が石けんを投げ合っていても、誰も喜ばんと言っている」

「R18にすればいいですか?」

「ピンボケしているぞ。まるっきり、そういう問題じゃあない」

「それでは、たとえばたとえばです。三人のうちの一人が、未来からの人物だとしたら?」

「その案は、いま、聞いたばかりだぞ。どうして二度言った?」


 右手の人差し指をピンと上げ、「私はタムラといいます」などと、女はいきなり名乗った。「たとえばです、明日の映像に未来人が映っていたらどうでしょうか?」


「おまえはなにを言っているんだ?」

「明日撮影する映像に、映りえない人物が映っていたらという話です」


 私はいよいよ首をかしげる。


「おまえという存在にゲシュタルト崩壊を見た」

「自分でもなにを言っているのか、それがわからなくなってきました」

「偉いぞ、タムラ。愚かさを自覚することは尊い」

「ですよねぇ」

「そもそも大衆娯楽として内輪ネタが受け容れられたケースは知らんぞ」

「でも、実際に、その彼がいなくなったのだとすれば、どうですか?」

「話が前後してわからん。要はどういうことなんだ?」

「映研の男子が、一人、姿をくらましたんです」

「それくらいはわかるし、わかった。だったらどうだというんだ?」

「すなわち」

「すなわち?」

「彼はタイムトリップの手段を得たわけです。気が向いたときにだけこの時間軸に来て、そのときそのときをこの世界を楽しむようになったんです」

「銭湯で真っ裸で石けんを投げ合うことが愉快なのか?」

「それも一興だということです」


 隙がありすぎる理論だし、意味がわからない論理である。

 まったく呆れ果てたくなる話でしかない。


「しかし、そうであったとして、そのことをどうやって証明するんだ?」

「それがわからないから、相談しています」

「初対面の女に相談か」

「お礼はします」

「それは?」

「生ビールを奢ります」


 ビールなら缶ビールでじゅうぶんなのだが、女――タムラはカメラを回し続けた。


「埃っぽいのがたまりませんね」


 どうやら彼女は大物らしい。


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