二十九ノ01
夕刻の終わり。インターホンが鳴ったので、誰が訪れたのか確認すると、その人物は楡矢だった。茶の間にて、冷たい緑茶を出してやった。安い物なのだが、「おぉ、うまいやん」と言うあたり、ハイソな舌ではないのだろう。
「なんや、話ない? 俺、話題に飢えてるんやけど」
「話などない。まえにも言ったはずだ。自慢できるほど、エキサイティングな毎日は送っていない。おまえはどうなんだ? 私よりはマシだろう?」
「こないだ、アメリカに行ってきましたぁ」
「そら見ろ。ネタに事欠かんだろうが」
「あぐら、かいてええ?」
「ダメだと言うほど狭量じゃない」
私に見つめられた楡矢は、口を真一文字に結び、ため息をついた。
「なんのため息だ?」
すると、「プレゼン、頼まれてんよ」と返ってきた。「なんのプレゼンかっちゅうと、先鋭的とでも言えばええんかな? とにかく、とある商品を売りに行ったんよ」ということらしい。
私は「いまさら、ヘッドクォーターがアメリカだというのは、時代遅れ以外のなにものでもないな」と私見と現実を述べた。
「今度、『インターロップ』に行ってみぃへん?」
「いまの私には、もはや無用のイベントだ」
「むかしは行ったん?」
「ああ。いい思い出はないな。あれは名刺を交換するだけの催し事だ」
「言いすぎやと思うけど」
苦笑のような笑みを浮かべた、楡矢である。
「鏡花さんが行かへんちゅうなら、俺も行かんとこ」
「なんだかんだ言っても、学べる場であることは間違いないぞ」
「果たして、展示されてる技術はどれだけ役に立つんかなぁ」
「物によるだろう。経験則から、そう言える。しかし、どうせ当該地に出向くくらいなら、近所のボールパークでプレーを観ながらビールでもあおるほうが幾分建設的だ」
「せっかくデートしよう思《おも》てたのに」
「あそこはデートに使う場所じゃあない」
「ごもっとも」
――そのときだった。
乾いたその音は、発砲音だとわかった。ほんとうに、「これが銃声」だということは、ニンゲンの感覚としてわかるようにできている。
「アーケードのほうやね」商店街は玄関とは反対にあたる。「剣呑やなぁ」
のんびりかまえている場合かとツッコミを入れたくなる。まだ店を開けているところもあるはずだ。会社帰りのニンゲンも少ないながらもいるはずだ。
銃声が連続した。私はその数が何発かを聞いていた。十六発。それでもまた、鳴る。マガジンを交換したのだろう。じつに危険な状況だ。
私が「どういうことだろうな」と訊ねると、楡矢は「わからへんね」と、あっけらかんと答えた。
「だから、のんびりかまえているわけには――」
「仕留めてくるよぉ。幸いなことに、俺の左の懐にも似たようなもんが入ってるさかい」
立ち上がった、楡矢。
ふふと笑って、肩をすくめてみせる。
「楡矢、考えた、私に銃を寄越せ。おまえはこの商店街とは無関係だろう? 一方で、私はここに店を構え続けるわけだ。私が責任をもってやってやる」
「こういうことは、女に任せられへんねよ」
「そういうのを差別というんだ」
「ちゃうな。単純に身体張ったろうっちゅう男がおるだけや」
見つめ合う。
「わかった。いいだろう」と私は折れた。「ただ、殺すな。極力、殺すな」
「あーらら、なんでやろ。俺に人殺しになってほしくないから、とか?」
「見物くらいはさせろ」
「ま、女の一人も守れへんでって話でもあるわな」
にしてもと言いつつ、茶の間の外で、楡矢は年季が入った革靴をはく。「仮にさ、俺が死んだら、鏡花さんは泣いてくれる?」
「どちらとも言えんな」
「わこた。表に顔出すだけやで?」
「おまえの勇姿を見届けたいというだけだ」
立ち上がると、楡矢は両手を突き上げ、うんと伸びをした。この男の背中はやけに広い。恐らくそれは、人生を生き抜くなかで培われた年輪なのだろう。