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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
二十七.カルガモ・オヤコ
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二十七ノ02

 いきなり扉が開いてびっくりしたのか、あるいは子どもらを守ろうとしてのことなのかはわからないが、親ガモがぐわぐわぐわわっと大きな鳴き声を上げたのである。それから納屋から飛んで出た。案外、逞しいではないかと感じた次第である。だが、このまま親子で道路に出られては困るのだ。ミッション失敗ということになってしまう。そんなことになれば、私は一生、おばちゃんから敵意に満ちた目を向けられかねない。それはなんとなあく、御免こうむりたいのだ。


 私はカルガモたちに続いて道路に出た。人通りが多い道ではない。だから、おしりをふりふり歩く親ガモとそれについていく子ガモについていけば問題ないだろうと考えた。しかしだ。車道に出ると、驚くべきことに、無鉄砲なことに、車が行き交うにもかかわらず、二車線の真ん中を歩き出したのだ。


 おいおいおい。

 ちょっと待て。


 私はカルガモ親子のうしろからついてゆく。そのうち、クラクションを鳴らされた。気になどしない私である。車は先を急いでいるのかもしれないが、いまの私にとってはカルガモのほうがプライオリティが高い。


 そのうち、ドライバーの一人が、カルガモの存在に気づいた。私がなにをしているのかも理解したらしい。「ゆっくり走るよ! 親子についていってやれ!」と聞こえた。世の中、捨てたものではないな。そんなふうに思いながら、先をゆく。うしろからまたクラクション。窓から身体を乗り出し、「うるせーんだ、馬鹿野郎!」と吠えたおっさんの後頭部はきれいに禿げ上がっている。だが、私は奴のことなら愛せるかもしれないなと考えた。ほんとうに、世の中、言うほど、悪くはない。


 ――カルガモは結局のところ、鼻が利くのだろう、大きな川を目指していた。時折、私が散歩がてらに訪れる河川敷を横断し、次々と飛び込んでいった。親ガモはともかく、少しためらうようにしてから飛び込んでゆく子ガモのなんと愛らしいことが。私にそう思わせるくらい、その姿はかわいさにあふれていた。


 邪魔にならないところに車を止めてきたのだろう。禿げ頭のおっさんが近づいてきて、彼もまた、眩しそうにカルガモの親子を眺めた。


「こういうのって、警察が出てもいいと思うんだ」おっさんがつるりと額を撫でながら言う。「カモが轢かれて死んじまうなんて、そりゃあ、誰でも心を痛めるはずだからな」


 私は「しかしな」と前置きし、「食物連鎖の頂点は、そんなこと、気にしてはいられないんだよ」と紡いだ。


「そう言うわりには、あんたはやりきったじゃないか。カルガモの親子だって、きっとあんたに感謝してる」

「おっさん、私はな、綺麗事は大嫌いなんだよ」

「それでも俺は言ってやる。あんたの行動は立派だよ」

「カルガモの親子を見守ってやっただけで立派なら、ニンゲン、誰でも立派だと言えるな」

「カルガモたちには、あんたが母親みたいに思えたのかもしれないぜ?」

「だとすれば、迷惑な話だ。私は子を持ちたいと思ったことなど、ないんだからな」


 カルガモの姿が見える。親ガモがすいすいとまえを行き、子ガモたちはなんとかついていこうとしているように見える。


「こういう光景を素敵だと思えるようになったのは、最近のことなんだ」

「なんだ、おっさん。いきなり身の上話か?」


 おっさんは苦笑のような表情を浮かべ。


「俺は親父の死に目に会えなかった……違うな。会おうとすらしなかったんだ」


 めんどくさいネタになりそうな予感はあったのだが、「どういうことだ?」と訊ねてやった。カルガモの引っ越しの懸命さに感化され、心が優しくなっているのかもしれない。


「俺が高校生のときに、親父は死んだ。病気だった」

「ただの高校生なら死に目に会える。ただの高校生ではなかったんだな?」

「言ってみれば、グレてたんだ。毎日毎日、悪さをすることが楽しくて、親のことなんて考えもしなかった」


 おっさんは肩を落とした。


「親父が死んだとき、俺はなにをしていたと思う?」

「さあな。女でも抱いていたんじゃないのか?」

「俺はモテるタイプじゃなかったよ」


 苦笑を深めた、おっさん。


「近所の高校との戦争に駆り出されていたんだ。俺、けんかなんて弱いのに……ホント、先輩に言われて、しかたなく、駆り出されていたんだ」

「そのあいだに、たとえば親父さんの容態は急変した?」

「そのとおりさ」


 私は鼻から息を漏らしつつ、青空を見上げた。


「人生、なにが起きるかわからん。教訓だな」

「俺は悔いたよ。死ぬほど悔いた。だって、親父の死に目につきあうなんて、一生に一度しかないわけだからな」


 くるりと身を翻し、私はおっさんに向けて、言った。


「後悔する、している。ニンゲン、そうあるだけで、のちの生き方はずいぶんと違ってくる。女房も子どももいるんだろう? おまえはそれなりにできた親父であるはずだ」


 とっとと歩き出す。うしろから、大きく「ありがとう!」と聞こえた。涙声だった。男が簡単に泣くな、ほんとうに。本物の男だったら、黙したまま強く生きろ。


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