二十三ノ01
勘弁してもらいたいと思うのだ。
赤ん坊、男児らしいのだが、胸をあちこち吸われたところで、出ないものは出ない。それくらいはわかってほしいし、だからこそ、胸にちゅうちゅうするのはやめてもらいたい。だがしかし、ちゅうちゅう吸いついてくるわけだ。「なにも出ないぞ?」と伝えても、ぎうぅとしがみついてくる。「私の胸は高い。死にたいのか?」と訊いても、深く深く谷間に顔をうずめてくる。うーんと首を捻るわけだ。女の胸に触って顔までうめているわけだ。過失責任を問いたいところだし、まさにそうしたいのだが、私はそこまで、人非人にはなれないらしい。
茶の間で男児を抱き上げ、「よぉし、よぅし」とあやしてやっているわけである。その様子を見て、桑形楡矢は腹を抱えて笑うのである。
「俺、そいつに生まれ変わりたいわ。鏡花さんのおっぱいにメチャクチャ触れるとか、そんなん奇跡やろ」
「そうだ。私のおっぱいは尊いんだ」
事実を告げてやると、楡矢はまた腹を叩いて笑う。「ええやん、べつに。ガキの一人くらい、育て上げてみぃさ」などと軽く言う。まさに軽率な物言いと言える。
私は顔をしかめ、呆れた。
「どうして私がガキの面倒を見なくちゃならないんだ?」
「えっ、だって、託されたんやろ?」
私は「私はそのへんのポストではないぞ」と訴えた。
「せやったら、どないして拾ってきたん?」
「ここまでの話を聞いて、わからんか?」
「うん、わからへん。俺ってアホやさかい、うははっ」
「リアルに死んでしまえ、馬鹿め」ともあれ私は先を紡ぐ。「わけがわからん。この店を訪れた女が、慌てたように置いていったんだ」
「せやったら――」
「ああ。裏くらいはあるんだろう」
「あれ? そない思う?」
「おまえの考えは違うのか?」
「いや、予測を言うんやけど」
「予測でいい。なんだというんだ?」
「ようあるんよ。組長の子どもを孕んで結果生んでしもたけど、そのあとの扱いに困るとかいうネタは」
私は背筋にざわとしたものを感じ、だから眉根を寄せた。
「おい、待て。だったら私はヤクザの揉め事に顔を突っ込んでいるということか?」
楡矢は悪戯っ子のように、「へへへっ」と笑った。
「ええやん、べつに。そのガキは鏡花さんのおっぱい好きなんやろうし」
「だから、おっぱいを好かれても困るという話だ」
「うん、わこた」
「なにがわかったんだ?」
「先方に話、つけてきたるわ。そしたら、鏡花さんのおっぱいも解放される」
「おっぱいの解放は優先事項であり、そうしてもらえるととても助かる」
「そうやよ。鏡花さんのおっぱいは唯一なんや」
「おっぱいおっぱい言うな。馬鹿に映るぞ」
「おっぱい、おっぱい、おっぱい」
「死ね。そして、二度と私のまえに姿を現すな」
楡矢はにっこりと笑った。私が抱えている赤ん坊を指差して、「手の内、明かすわ。そいつは次の次の組長やよぅ」とお気楽な感アリアリに言った。
「ああ、なるほど、そうか。私はいま、今後の暴力団事情を担うべき赤ん坊を抱いているというわけか」私はそう言い、笑った。「なにもかも請求せんといかんな。まあ、おまえの言うことがたしかならという条件はつくが」
「うーん、どないしよ。ホンマに俺に任せてもらっても、ええ?」
「かかった経費だけ持ってこい。それ以外は要らん。くり返すようでなんだが、私の胸に関する事項については、大目に見てやろう」
楡矢は「了解」と言い、ちゃぶ台をまえにした席を立った。
「あんたはホンマ、心が広いな」
「おまえだって、狭くはないはずだ」
「そうなんよ」楡矢は泣きそうなくらいの苦笑を浮かべた。「なんでやろうね、なんでかな? 俺らみたいな奴らばっかでもええはずやのに、そうやないもんやから、ところどころで悲しみが生まれてまう。俺はそれをなくしたいんや」
「そうなのか?」と言い、私は嘲笑した。「賢くあることだ、楡矢。それ以外の助言も解もない」
「マジ結構悩んでんねんで? 俺」
「人生において悩むことが嫌なら、とっとと死んでしまえ」
私の深い胸の谷間に顔をうずめ、男児はすーはーすーはーと呼吸をする。
私が「馬鹿だな」と呟くと、楡矢は「そない言いなや」と笑った。