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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
二十ニ.団地妻
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二十ニノ02

 えらく揉めてしまって……。


 近所の派出所に勤める生真面目な制服警官が、ウチに来るなり、そう言った。どうでもいいとは思いながらも、若干の興味から、私は詳しいところを知ろうとした。


 話を進めたところ、なんでも「くだんの団地妻」が派出所を訪れたのだと知らされた。夫もついてきたとのこと。夫の両頬には猫にひっかかれたような傷があるらしい。理由はよくわからないが、わからないからこそ、団地妻が発狂して爪を立てたのだろうというくらい、わかった。


「それで若き警官、おまえは私になにを伝えに来たんだ?」

「団地妻さんなんですけれど、彼女が鏡花さんを連れてきてくれ、って」


 眉根を寄せ、目線をうえにやった。私である。


「かの団地妻と私のあいだには、なんの関係もないんだが?」

「だけど、その、呼んできてほしいのだ、と……」


 この若き警官は少年のように無垢な純粋培養のおぼっちゃまなのだ。おぼっちゃまがどうして派出所勤務など――と勘繰りたくもなるのだが、そこはまあ、置いておくとして――。


「鏡花さんが来てくれないうちは帰らないと言っています」

「夫と二人でいるところに私立ち入ったところで、なにも用は足さんと思うのだが?」

「さておき、旦那さまも話がつくまでは帰らないの一点張りでして――」

「いまは? 二人とも、どうしているんだ?」

「カツ丼を食べています」

「はあ?」

「取り調べなら、まずカツ丼だろう、と」

「取り調べではないだろう?」

「それでも、カツ丼だろう、と」


 いよいよ頭痛がしてきた。


「仲良く食べているのか?」

「はい。ニコニコしながら、おいしいね、おいしいね、と」


 だったら、離婚の一件もなんとかしてほしいものだが――。


「ひょっとしたら、私たちは騙されているのかもしれんな」

「騙されている?」

「結果的に、連中は一食、得をしたわけだ」

「ま、まさかそんなこと――」

「いや。カツ丼のために離婚騒ぎを装った可能性がある」

「冗談でしょう?」

「ああ、冗談だ」


 私は茶の間の端から、腰を上げた。


「戸締りをするから、表で待っていてくれ」

「頼りになります。ありがとうございます」


 警官に頭を下げられると、無条件で妙な優越感に浸ることができるから不思議だ。


 ――派出所。


 狭い屋内において、事務的な回転椅子が二つ。片方では団地妻が腕も脚も組んでふんぞり返っており、もう片方では成人男性――夫であろう人物が細君にぺこぺこと頭を下げている。


 長話をするつもりはなく、また突っ立ってしゃべるつもりもないので、私は夫のほうに「どけ」と言った。「えっ」とびっくりしたような彼ではあるが、私が険しい顔でもう一度「どけ」と告げると、席を譲ってくれた。危ないところだった。あと一秒、立ち上がるのが遅ければ、頭をひっぱたいていたことだろう。


「団地妻よ、私も学んだ。その生態、およびエロティックさは理解した。ただ、清掃業者の男を捕縛したところで、その先になにがある?」

「だ、だから、私は清掃業者の彼のほうが大きいと――」

「大きい小さいは問題ではない。私はそれなりの夫を得たうえで、それなりに長く暮らして、最終的に静かな老後を過ごせたほうが幸福だろうと思うがな」

「夫のは小さいんですよ!!」

「サイズを気にしすぎだ。使いようによっては、なんとでもなる」

「まあ! まあっ、卑猥だわ! 卑猥よ、あなた!」

「いや、おまえが言い出したことなんだが……」


 その間も、夫はしくしく泣いている。

 人間的には、たしかに小物なのかもしれない。


「団地妻よ」

「ええ、ええ、なによ! 私は団地妻よ! それがどうかしたっていうの?!」

「……どうあれ、個人的な揉め事で警察を頼るな。彼らだって迷惑している」

「まあ! 民事不介入だからといって、無視するのね!」

「概念的には正しいが、少々、誤った考え方だな」


 私は右手を額にやり、静かに首を横に振った。


「カツ丼まで食べたんだろう? そろそろ辞去したらどうだ?」

「カツ丼一杯で騙されたりはしません!」


 なんだか事は至極つまらない展開を見せる。


「騙されるもなにも、おまえが勝手に注文したと聞いて――」

「じゃあ、あなたが私たちの行く末を決めてください!」

「……は?」

「私、あなたのことは信用できると思っています」

「ちょ、待て、いまのいままでおまえは――」

「ここではまずいとおっしゃるのなら、喫茶店に行きましょう。だいじょうぶです。チョコレートパフェがありますから」

「奢ってくれるのか?」

「なにを言っているんですか。私が食べるんですよ!」


 派出所から出るとき、おいおい泣き続ける夫の肩を、私は右手で抱いてやった。


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