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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
二十ニ.団地妻
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二十ニノ01

 団地妻。

 昭和の時代、その概念は強い意味合いを伴って、世間を席巻したらしい。

 団地妻。

 卑猥な響きであるようなのだ。

 団地妻。

 エロさ満点であるようなのだ。


 その団地妻の一人が、我が古書店――「はがくれ」のレジのまえで両膝を折り、しくしくと泣くのである。現状「団地妻」だという情報と、「夫のほかにマンション清掃業者の男と関係を持っている」ということしか聞かされていない。「マンション」という呼称がある限り、それは「団地妻」とは言えないのではないのかと考えるのだが、「団地妻」は自らは「団地妻」だと強烈かつ継続的に主張し続け――。


「おい、団地妻よ、まだ二十代だとお見受けするが、どうしておまえはそんな報せを私にもたらしてくれたんだ?」

「夫に別れを切り出されていて……だったら!」

「だったらもなにもない。おまえが悪い」

「たかが古本屋の店員にそんなこと言われたくありません!」

「いや、おまえが勝手に話したんだぞ? そして私は店員だが主人だぞ?」

「そうですか! ああ、はい、そうですか! あなたは私に死ねとおっしゃるのね!!」

「そんなことは一言も――」

「そうです! 私が死ねば片づくんです! そうです! 私さえ死ねば済む話なんです!」


 だったら死ね。

 そう言いたいところなのだが、私も一義的には社会人であり。


「課題を訊こう」

「えっ」

「だから、なにが目的でなにが欲しいのかを言え。問題とは、現状とあるべき姿のギャップを指す」

「また小難しいことを言って! ウチの夫みたいです!!」


 団地妻はそんなふうに声を尖らせるのだが、問題がどういうものかを理解していることから考えて、より冷静に物を述べているのは夫なのだろうという見当くらいはつく。


「ええ、そうだわ! あなたと夫がくっつけばいいんだわ!!」


 話がとてつもなく飛躍した。


「あなたはその胸の大きさを使って、男を口説いてきたんでしょう?」


 えっらい誤解だ。


「ええ、そうだわ。あなたは胸の大きさこそ正義だと思っているんだわ!」


 とてつもない偏見だ。


 ――まあ、いい。


「おまえがそこまで言うんだったら、こっちも好きに言わせてもらおう。簡単だ。別れてしまえ。夫も嫌とは言わないはず――」

「まあっ、まあ! あなたは私にバツをつけたがるのね!」


 眉根を寄せたくもなる。

 頭痛を覚えるまでには、まだ至らない。


「おまえの失態だ。やむをえんだろうが」

「清掃業者の男のコのは大きいんです!」

「いや。訊いていない」

「夫のは小さいんです!」

「いや、だから訊いていない」


 女は立ち上がると首を左右に振り、髪を乱した。


「ああ、なんてかわいそうな、私……っ!」


 ……付き合うのが馬鹿らしくなってきた。


 私は腰を上げ、レジ台を回り込んだ。女の背に左手を当て、少々乱暴に、ご退場願おうとする。


「まあ、まあ! あなたは私に帰れと言うの! 私は客なのに!!」

「面倒な客なら要らん。道楽でやっている店なんだ。わかってくれ」

「わかりたいわけないじゃありませんか!」

「脳にまでキンキン響くその声はやめてくれ。いなくなってくれ」


 団地妻は、「後悔させてやりますからね!」などと憎まれ口を叩きながら、店を去った。


 そういえば――。


 店の先代オーナーである祖父は、たしか、「エロい本」も扱っていた。そうであるはずなのに、引き継いだ私は目にしたことがない。では、はてさて、どこに行ってしまったのか……。


 百円にて売っている表のワゴンのなかにあろうはずもない。だったら? ――どこなのだろう。棚のあちこちの本を二冊三冊と抜きながら、片目をつむって奥を見る。けぷこんけぷこんと咳が出る。くしゃみまで飛び出した。忌むべきは埃である。


 そのうち、期せずして「あっ」と声が上がった。本棚の奥でくしゃくしゃになっている雑誌を見つけたのだ。そいつをひっぱり出して――うん、なるほど、と唸った。タイムリーだ。まさに「団地妻特集」とある。いまでは出版できないクォリティだ。すばらしい。ある意味、潔い。


 だが、内容の低俗さを目の当たりにし、私は当該雑誌を床に叩きつけた。右足で踏みにじってやる。


「ゴミが増えた」


 私はため息をついたのである。


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