二十ノ02
社会人時代――いや、いまでも社会人なのだが、要するに会社勤めだった頃は、眼鏡一つをかけるにしても、凝っていた。たくさん持っていた。眼鏡を交換しただけで、「その眼鏡、いいッスね」とか、「三上くん、また一段と色っぽくなったね」などと声をかけてくる虫けら的な男は総じて馬鹿で、仕事もできなかった。私は顎で使ってくれるほどの上司を求めていたのに、「三上、飲みに行こうぜ!」みたいな気さくな同僚を求めていたのに、結局最後まで、それは得られなかった。
得られなかったな……。
――そんなふうに当時を思い返しつつ、私は校門の正面の壁に背中を預けている。きゃっきゃはしゃいで出てくるガキんちょどもは、私を見るときゃっきゃをやめ、不思議そうなというより、不審そうな目を向けてくる。ああ、そうかと思う。最後までヒトに恵まれなかったのは、物やニンゲンを鋭すぎる目つきで見てしまう私にも原因の一端はあったのだろうと思い直す。
右の手のひらを見つめる。いったい、いまの私はなにを欲しているのだろう。なにがあれば、人生において、満足だと言えるのだろう。ただ、思うのだ。誰のことも愛さず、誰にも愛されず、そのような状況下にあって死にゆくのも、悪くはないだろう、と。
空を見上げる。曇天。降りそうな感じではないが、蒸し暑い。家を出てきたときは晴天だったのになと思う。私はいわゆる雨女なのだろうか。馬鹿な。ヒト一人が天候を左右するのであれば、気象庁は役に立たなくなる。
などなど、しょうもないことに思考を費やしていると、「おねえちゃーん!」と元気いっぱいの声が聞こえた。ホノカである。黄色い帽子をかぶっている。赤い縁の眼鏡をかけている。ホノカは女のコの手を引いている。ぐいぐいひっぱっているように見える。そのコもまた、赤い眼鏡をかけている。ホノカはにっこりと、女のコのほうは少々どぎまぎしながら、近づいてきた。私は両膝を折る。上から見下ろすのは、なにか違うと考えたからだ。
「おねえちゃん、おねえちゃん、このコね、マコちゃんっていうの。今日ね? 今日ね? 友だちになったの!」
マコちゃんとやらは真っ赤な顔をしている。きっと優しくて、イイ奴なのだろう。
「ちゃんと、ごめんなさいはしたのか?」
「した!」
まあ、そうだろう。心を許すことができる。そう感じ取ることができたから、マコは手を引かれているのだ。
「なあ、マコ」
そう呼びかけると、マコは弾かれたように「は、はいっ」と背を正した。「眼鏡、よく似合っているぞ」と言ってやると、照れくさそうに笑った。
「これからね? 眼鏡っ子同士、仲良くするの!」
私は頷き、得られた満足とともに微笑んだ。
「仲良くあれることを、喜びにしろ」
私が言うと、二人は「えっ」と声を上げた。らしくないことを言ってしまったなぁと思い、苦笑が漏れた。
「よし。いまの私は気分がいい。二人にチョコレートパフェを奢ってやろう」
すると、ホノカもマコも残念そうな顔をして。
「誰かに物をもらっちゃいけないって、言われてるの」
それはそうだなと思い、また苦笑した。
「だったら、私はどうしたらいい? 帰って寝ればいいのか?」
「もう寝ちゃうの?」
「あいにく、私は自由なんだ」
「んとね、おねえちゃん」
「ああ、なんだ?」
途中まで一緒に歩こう!
ホノカはそんなふうに言ってくれた。
ホノカに勢い良く左手を握られた。
マコにはおずおずと右手を握られた。
「おねえちゃんも、とっても、大切な友だちだよ?」
ガキが生意気を言うな。
などと言ってしまえるほど、私は悪人になりきれないらしい。
私が静かに駆け出すと、ホノカもマコもぱたぱた走った。
たしかに、もう友だちだ。