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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十九.商店街の人々
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十九ノ02

 午前九時から十時のあいだにはいつも店を開けるのだが、今日は少々、営業開始の時間を遅らせることにした。昨日は魚屋の主人に偶然、遭遇することになったわけだが――ちょっとしたわけがあり、肉屋と八百屋に顔を出すことにしたのだ。


 肉屋に到着。大将はもういい年のくせにモヒカン頭を茶色く染めている。サングラスをかけ、アロハシャツまで着ている。なんのつもりなのか。でっぷりとした体格もあって初見の客なら怖がることウケアイだし、そうである以上、外見に優位性はなく、むしろマイナス要素のほうが多いと言っていい。


 店先に顔を出してやると、そのうち、大将がこちらに気づいた。「おう、鏡花。今日もデカ乳だな」というのが第一声だった。ぶん殴ってやろうかと思ったがやめておいた。奥ゆかしく、またおしとやかな私らしい判断と言える。


「肉は生鮮食料品だ。人通りがないのにたくさんショーケースに並べて、どうするつもりなんだ?」


 すると大将は「ふふん」と胸を張り。


「いなくてもやるんだよ。わしがやらなきゃこの商店街そのものが潰れる。それは鏡花だって望むところじゃあ、ないだろう?」

「私は逞しくやっていける。大将には家族もあるし、孫だって――」

「わしが店を閉めるとき。それはほんとうに、この商店街がダメになったときだ」

「もう十二分にダメだと思うが?」


 大将は豪快に「がっはっは!」と笑った。


「わしにっとっちゃあ、生まれも育ちもこの商店街なんだ。もう日の目を見ることはないのかもしれんが、それでもなんとかやっているし、やってやる。わしはな、鏡花、じつはむかしは、肉を見ることすら嫌だったんだ」


 いきなり謎めいた告白である。


「どうしてだ?」

「だって、牛も豚も鶏もかわいいだろう?」

「ああ、そうか。そうだな……」


 大将の根っこの部分を見た気がした。


「でも、肉は売れる、売れるんだ。うまいから売れるんだ」

「そこまで言うのなら、止めはせんさ」

「貧乏人には貧乏人の意地がある。そのへん、鏡花だって、わかるはずだ」

「私は特別、貧乏人というわけではないんだが?」

「それはそうかもしれんが、イイ男くらい紹介してやれるぞ?」

「要らん。自分で探す」


 私は深々と礼をし、身体を起こすと、にこりと笑った。


「つまらんことを言った。ゆるしてほしい」

「いいんだよ。わしを含め、この商店街でおまえのことが嫌いな奴なんていないんだから。あとでまた寄ってくれ。今日は表でもつ焼きをするんだ。でかい鉄板を使ってな。匂いにつられる奴もいるだろう」

「そうだな」


 私は左手を「バイバイ」と振って、場をあとにした。



 ――次は八百屋である。


 店のまえに立つと、黒くて短い髪をツンツンにおったてた小僧が、こちらのことを見ることもなく、「らっしゃーい」と気の抜けた声をはなった。不愉快な気分にさせられたので店に踏み込み、頭をばちこんと叩いてやった。


「い、いってーな! なにすんだよ! って、げっ、鏡花じゃねーか?!」

「ああ、そうだ、鏡花さまだ。いまさら品出しか? ずいぶんと遅いじゃないか」

「いいんだよ。どうせ誰も買いになんてこねーんだし」

「それがわかっていながら、どうしておまえは毎日商品を仕入れて並べているんだ?」

「なんつーか、それは……たぶん、惰性みたいなもんだよ」

「親父さんは? まだ悪いのか?」

「余命宣告、六か月なんだけど、過ぎたのに、まだなんとか生きてるよ」小僧は苦笑のような表情を浮かべた。「やっぱ、しぶといんだ。しぶといんだよ……」


 私は大きく息を吸い込んだ。


「私の母も、むかし、乳癌の手術をした。六十歳までは無理だろうと言われたんだ」

「そうなのか?」小僧は不安そうな目をした。「そ、それでいまは? 死んじまったのか?」

「いや。立派に生きている。医者の見込みがはずれる場合もあると言いたい」


 小僧が笑った。


「おまえ、優しいな、鏡花」

「呼び捨てにするな。鏡花さん、だ」

「ウチの親父はダメだ。目は落ちくぼんでるし、あんなにでかかった手だって、もう骨と皮だけなんだぜ?」

「じゃあ、親父さんが亡くなったとしよう。その上で、おまえはこれからどうしたい?」


 にししっと歯を見せた、小僧である。


「八百屋、続けるよ。こう見えてもちゃんと買ってくれる常連はいるし……ただ――」

「ただ?」

「ホント、情けない話なんだけど、俺、はなからこの店を継ぐつもりだったんだ。俺はどうしようもねぇ馬鹿だし、勉強もできねぇけど、親父がこの店を残してくれた。へへっ。おちこぼれにとって、家業があるっていうのは、強いよな」


 私は呆れたように――そうでありながら、感心し、満足感を覚え、頷いた。


「小僧よ」

「ああ、小僧だぜ。なんだよ?」

「私はな、この商店街の住人であるくせに、駅前のスーパーでばかり、物を買っているんだ」


 小僧はきょとんとした顔をみせたあと、「ハハッ」と笑った。


「そんなの自由じゃねーか。気にすんなよ」

「しかしだな――」

「だったら鏡花、おまえ、ウチの店ごと買えんのかよ。肉屋だって魚屋だってあるけど、よくよく考えてみろよ。客は大事だけど、だからっつって、一人や二人、増えたところで減ったところで、影響なんてねーよ」

「客なんだから、好きなところで買えばいい。そういうことか?」


 こっくりと深く頷いた、小僧である。


 私はなにかこう、大きな勘違いをしていたようだ。魚屋の主人と肉屋の大将、それに八百屋の小僧から、その旨、指摘されたような気がする。


 小僧に別れを告げ、家に帰って、店を開けた。私の生活に大きな影響を及ぼすわけでもない。だったら買える物は商店街で購入しよう。


 なんだかんだ言っても、私もこの商店街の一員なのだ。


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