二ノ03
どこがいいかと訊かれたのでどこでもいいと答えたら着いた先はファミレスだった。「ブランチでフレンチでもよかったんやけど」と楡矢は笑ったが、ドレスコードも順守していなければ軽トラで乗りつけるのもなんなのでという話だった。賢明な判断と言える。
四人座れるボックス席に、対面で座った。
「グラスワインでも飲めば?」
楡矢がそう提案した。「じゃあ、もらおうか」となり、遠慮なく注文させてもらった。赤にした。運ばれてきたグラスを額の上まで持ち上げて色を確認してから、くいと傾けた。渋さがちょうどよく、決してまずいものではなかった。むしろ四百円ならたいへんコスパがいい。気づかないうちに舌が安くなってしまった可能性は否定できないが。
「コンプレックスを抱いているニンゲンに限って、そのことを口にしたがる。他人にずばり指摘されると怒るか困るかしてまうもんやから、そうなるんが怖くて、わざわざ自分から先に手の内を明かしてまうんや。そこにヒトの弱さを見るのは当然のことで、せやのにそういう連中はそれを認めようとせぇへん。その愚かしさに気づかへん奴が多すぎて、ときどき、俺は世界に絶望する」
あまりにくだらない主張なので、つい鼻で笑ってしまった。ただ異論はない。だから反論もしない。むしろ、「もっと語って私を楽しませてみろ」と焚きつけてやった。そしたら、楡矢は両腕をテーブルに置き、肩をすくめてみせた。「俺みたいな奴は、めんどくさい?」などと訊ねてきた。「幾分な」と答えておいた。
「俺は独占欲の強いニンゲンやないんよ」
「美徳とすべきだ。男女の関係において相手の過去や経歴を知ろうとするほど浅ましいことはない」
「それでも、ちょっとくらいあかん?」
「それは、先っちょだけと言っているのと同じだが、まあ、いいだろう」
「OLやったん?」
「最後は営業畑に落ち着いた」
「バリバリやったん?」
「まぁな」
「へぇ」
えらくにこにこする楡矢を見て、私は何とはなしに能力をオンにした。目線を少し上にやる。やはり、漢字どころか吹き出しすら出現しない。「ん? なんやろ?」と楡矢は不思議そうに首をかしげたが、私は「なんでもない」とだけ応え、オフにした。
「おまえは普段、なにをしているんだ?」
「せやから、なんでも屋やってば。便利屋とも言うね。で、鏡花さん、物は相談なんやけど、俺が案件持ち込んだらさ、その折にはちょっとつきおうてもらえへんやろか。もちろん、報酬は払うさかい」
「私が暇だと思っているのか?」
「暇やろ?」
「暇だ。しかし、べつに滅入ったりはしていない」
腹がぐぅと音を立てた。
楡矢に「あはは」と笑われてしまった。
「最近、退屈してんねわ。せやから、この出会いにはメッチャ感謝してる」
「私も感謝しているがね」
「そうなん?」
「ああ。こうして昼飯をごちそうしてもらえるわけだからな」グラスをまた、傾ける。「ただ、見返りはなにも期待しないことだ。生きているだけで偉いのが私だと思い知れ」
楡矢はおどけるようにして「もうたっぷりと思い知りましたぁ」と言うと、それから「鏡花さんはチェス強い?」と訊ねてきた。「将棋でもええんやけど」
「将棋は弱い。チェスについてはルールすら知らん」
「オセロは?」
「激しく負けた記憶しかない」
「指す手に必然性がない。俺と一緒やん」
「話を変えろ。つまらんくなってきた」
ほならぁと視線を上にやりつつ、右手の人差し指を顎に当てた楡矢。
「なにが正しくて、なにが間違いなんか。それがわからへんとき、鏡花さんやったらどないなふうに動く?」
「あいだを抜くに決まっている。自分にとっての真実だけをもとに対応する」
「強いヒトやからできることやね」
「やる気の問題でしかない。ほかの話題は?」
「ないさかい、また思いついたら話すわ」
「わかった」
極力、無駄なことを話そうとしない点はポイントが高い。
食事が運ばれてきた。私はミートソースのスパゲティ、楡矢はハンバーグステーキセットだ。「奢りなんやから、一番高いメニュー選んだらええのに」と言われたが、私からすれば十分な贅沢だ。早速、フォークに麺を巻きつけ食す。うまい。少なくとも、自分で作ったものよりは。切り分けたハンバーグを食べる楡矢。はふはふと口を動かしながら、にこっと笑う。まったく、小憎らしいくらいに愛らしい。格好良かったり可愛らしかったり変幻自在だなと思う。女の敵になりうる素材だが、私の敵にはならない。私は一生、処女なのだろう。
「しょっぱいのが好きやねん」などと言いつつ、楡矢はライスに塩を振った。塩分の摂りすぎで死ねばいいのに――と考えるほど、私の心はささくれ立っていない。
「俺、やっぱ小説書いてみよっかな」
私は麺を口にしてから、「一般論として述べるなら、クリエイティブな行為は尊い」と説いた。
「せやけど俺、絶望的に飽きっぽいさかいなぁ。プロットから作り込む自信なんてないわぁ。ボキャブラリーも多いほうやないしなぁ」ライスを掻き込み終えた楡矢。「あかん。どう考えても、手持ちのアイテムが足りへんわ」
フォークを口に運ぼうとしたとき、麺からソースを垂らしてしまった。純白のシャツは汚さずに済んだが、左の乳房の上に落ちた。私は舌打ちしてから右の人差し指で拭い、それを舌先で絡め取る。楡矢が「エロすぎぃ」と笑った。
「飽きっぽいかどうかは知らんが、語彙は豊富なほうだろう」
「自信ないから監修してくれへん?」
「小説には疎い。何度言わせる」
「注意点くらいはある?」
「誰がこしらえたのかもわからん若者言葉は感心せんな」
「パネェとか?」
「エモいもだ」
「厳しいなぁ」
食事を終え、紙ナプキンで口元を拭う。「それ、くれへん?」と楡矢が言った。もちろん、くれてやらない。丸めて皿の上に転がした。
「胸おっきぃと、困る?」
「足元が見えんのがネックだ」
「なるほど。コーヒー、飲むよね?」
「いや、いい。家に帰ってから緑茶を淹れる」
「振る舞ってもろて、ええ?」
「ああ、かまわんぞ」