十八ノ03
――帯広を回り、インディアンカレーを食べて、ばんえい競馬を観た。ソリの上から馬の尻をべしべし叩いて、山を登らせるアレだ。「痛そうです、実際、痛いに違いないのです」と言い、千鶴は顔を覆ったが、私はそうではないだろうと思った。
そのへん、マキナにも意見を求めてみた。
「いかにもがんばってるよね。そして、がんばれーっ、がんばれーって叫びたくなる。よかった、観ることができて。これで私は、まだまだがんばれる」
そう答えたマキナは、珍しく、目尻に涙を浮かべていた。
――次は富良野。強行軍というわけでもない。ただ、「~の木」やら、「~の丘」なるものは興味深くはあるものの、ずっと見ていられるとも感じられない。しかし、連れの二人は「一日中、拝んでいられる」と声を揃えた。私はそんなの、途中で絶対に飽きる――とまで言って。当該観光地をディスるつもりはないのだが。
「~の丘」で、なんというのだろう、高低のある、確かに都会ではちょっと見られない畑を、両膝を折って眺めていた。マキナと千鶴はあちこち行ったり来たりして、相変わらず、写真を撮ることに熱心だ。雲行きが怪しい。蒸し暑い。ただ、ヒトの目にはやはり映える光景ではある。
男が一人、現れたのである。若者だ。特徴もない量産型だ。私の隣で私と同じくしゃがみ込むと、「いかがですか?」と紫色のソフトクリームを差し出してきた。
「食い物に興味はない。私は景色を楽しんでいるんだ」
「つまらなさそうにしているように見えます」
私は「バレたか」と言い、口の端を伸ばし、あるいは邪悪とも言える笑みをこしらえた。
「食べてください。おいしいですから」
「金なら払わんぞ」
「僕の奢りです」
紫色のそれを食べ、ああ、ラベンダーの紫色なのかと悟り、「まずいものでもないな」とだけ、感想を述べた。
「観光客のヒト達へのウケは悪くないんです」
「せっかくこの地を訪れたんだ。食べようというニンゲンが多くても、不思議はない」
「僕、いくつくらいに見えますか?」
突然の問いに、私は男――青年のほうを向いた。
「十八やそこらだろう?」
「ばっちり、正解です」
「そう言う以上、なにかやりたいことがあるんだな?」
「さすがです」
「さすがと言えるほど、おまえは私を知らんだろうが」
「その口調もさすがです」
「だから、おまえは――」
青年は大げさ――否、立派とも言えるような畑に目をやった。
「あなたは内地のヒトですよね?」
「内地?」
「本州のことです」
「ああ、そういうことか。そのとおりだが?」
私は曇天を見上げる。降りそうで降ってこない。一番、嫌な感じだ。
「北海道の地方のニンゲンが目指すところといえば、まずは札幌なんです」
「私にはわからん感覚だ」
「そうなんですか?」
「私は地元が東京なんでな」
「東京はいいところですか?」
「華々しい一方で、あるいは哀愁的だ」
「僕にはあなたがとても都会人に見えます」
「こんな野暮ったい恰好をしているのにか?」
はっはっはと笑い飛ばしてやってから、少々ずれた黒縁眼鏡を押し上げた。
「でも、なにがしたいのか、それが定まらないんです。というか、むしろ、ないと言っていい」
「きっと、考えすぎなんだろうな」
「えっ?」
「考えすぎなんだろうと言った。私にその経験があるとは言えないが、自分ががんばれると思ったら、どんなことだってがんばれるはずだ。乗り越えられるはずだ」
青年もまた、曇り空を仰いだ。「わかりました」と言った。「なにがわかったんだ?」と問いかけると、「がんばろうと思います」とだけ、答えがあった。だから私はがんばれとだけ告げて、立ち上がった。雨が降り出し「ひゃあぁ!」と声を上げながら、マキナと千鶴が戻ってくるところだった。
――その日、富良野での一夜である。前日はビジネスホテルだったので、いくらなんでも今日は違うだろうと考えていたところで、「それっぽいホテル」にアテンドされた。室内設備にも隙がない。「今日は立派です!」と手放しで喜んだ千鶴である。大きなベッドも三つ。素晴らしいと言えた。
しかしだ。
三人で大浴場へと入り、三人で背中の洗いっこをしてから、まさに露天風呂に浸かった段階――そこで初めて、私は気づいた。湯船からなんの匂いもしないのだ。湯も透き通っているし、これは、もしや……。
「おい」
マキナは「なんですかぁ?」とのんびり言いつつ、頭の上にタオルをのせた。
「ひょっとしてこの湯は、温泉ではないんじゃないのか?」
「えーっ」と声を上げたのは千鶴である。「鏡花さん、いま気づかれたんですかぁ?」
「千鶴、おまえは知っていたというのか?」
「はい。さっきスマホで調べたら、そんなふうに書いてありましたし」
私は手振りを交えて、マキナに「富良野にも温泉はあるはずだ。あったはずだ」と訴えた。すると「前に言ったじゃん。私は薄給なんだって」と返ってきた。
立派なベッドより、小さくてもいいから温泉があるほうよかった……。
「鏡花さんはお風呂に入っても美人なのです」
「それは、あたりまえだ」
私は湯を使って、ごしごしと顔を洗った。
温泉なら地元に銭湯があるのだ。だから――否、それでも、旅をしたことに意味があるのだろう。明日になれば東京に帰って、また日常が始まるわけだ。マキナにしろ、千鶴にしろ、私にしろ、いい休暇になったことは間違いない。なお、うまかったから、おみやげに富良野ワインを買ってしまった。私からすると大の付く出費と言えた。