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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十八.楽しい富良野
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十八ノ02

 羽田空港に着き、チケットを渡された。きちんと席まで確保してくれているらしい。フツウのよりいいシートだ。私はボストンバッグを肩から提げている。千鶴も同様。中途半端な時間なので、「昼食をとろう!」などとマキナが言い出した。次の瞬間、マキナが小さな声で漏らしたのだ。「チケット代が安く浮くと、カツカレーだって食べられるよねぇ」と。


 私はいっぺんに眉をしかめ「は?」と首をかしげた。「なんの話だ?」と訊ねたのである。マキナは「なんでもないよぅ」と笑う。なんだかイラついて、私はキャリーバッグを蹴飛ばしてやった。マキナの手を離れ、カエル色のそれは向こうへと滑っていく。驚いた様子のマキナは、「おおぅっ、おおぅ!」と声を上げながら追いかけ、キャリーバッグを拾った。こちらを向いて、にこっと笑う。


 私は難しい顔をしつつ、マキナに近づいた。「もう一度、訊く」と言い、「おまえ、わけのわからんことを言ったぞ。チケット代が安く済んだとか、どういうことだ?」と続けた。


「あのね、ほんとうに、チケット、安くとれたんだぁ」

「だから、それはどうしてだ?」

「内緒」

「おまえは金持ちだろうが」

「まあねぇ」


 おーほっほ! 今度はそんなふうに笑ったマキナ。まったく、キャラの崩壊もいいところだ。私はいつものように、静かに首を横に振った次第である。どうしてこう、私の周りには変わり者が多いのか。


「っていうか、鏡花ちん。なにも怒んなくてもいいじゃん。怒る必要もないじゃん」

「ああ、そうだな、すまんな。ただ、ときどきおまえのことがどうしようもなく嫌になることだけは覚えておいてほしい」

「えーっ、なにそれぇ」

「いいぞ。カツカレーだな?」

「フライトまであんまり時間がないから、急いで食べないと」

「だいじょうぶだ。問題ない。カレーは飲み物だ」

「さっすが鏡花ちん。わんぱくだぁ」


 わんぱくとはいい意味ではないので、イラっとした私だった。無論、マキナに悪気がないことはわかっているのだが。



 ――新千歳空港に到着すると、シャトルバスでレンタカー屋まで向かい、そこで車を借りた。派手好きなマキナにふさわしい、BMWのオープンカーである。ナビシートに乗っている千鶴は「すごーい!」と両手を突き上げる。


「すぐに幌は閉めちゃいますよぉ」

「えーっ、そうなんですかぁ?

「高速に乗るからねぇ」

「どこまで連れて行ってくれるのですか?」

「釧路」

「おぉぉっ、釧路湿原ですね!!」

「凡庸な観光地だけど、日程的には、そのあたりが限界かなぁって」

「あー、その言い方、なんだかすごく寂しいのです。たくさん一緒にいたいのです」


 ここは私が「大人には大人の事情があるんだよ」と説いてやった次第である。


 ――釧路湿原を見渡すまでには結構な時間がかかり、その分、期待も膨らんだが、歩いた距離に対する不満もあったのだろう、千鶴は現物を見るとがっかりしたように、「えー……」と沈んだ声を発したのだった。「これがかの有名な釧路湿原なのですかぁ?」と地元のヒトに刺されかねない言葉を吐いた。


 デッキの上から湿原を眺め、「まあ、こんなものだろう」と私は言った。マキナも「私的にはかなりいいかな?」と感想を述べた。そう。悪くはないのだ。なにか言いたいことがあるとするなら、やたらとコバエがうっとうしい点だった。


 ――幣舞橋(ぬさまいばし)を見た。――否、正確には、幣舞橋の向こうに映る夕日が沈むのを見送った。熱心なファンがいるらしい。でかいレンズでその様を写真におさめるヒトがいた。マキナも千鶴もしきりにデジカメを使っていた。私はその刹那的な瞬間を、目に焼きつけるだけに留めておいた。そうあってこその、価値だろう?


 ――ビジネスホテルを予約していたらしい。しかも、三人とも別室だ。まったく、贅沢な話である。千鶴は「一緒がいいですよぅ」と口を尖らせたが、遠くまで来たのだ。車に乗っているだけでも疲れたし、千鶴だってそうだろう。マキナに関しては運転手だったわけだ。別々の部屋で休息したほうが、よりリラックスできるというものだろう。


 ――部屋の電話が鳴った。出てみると、千鶴だった。


『やっぱり寂しいのですよぅ、鏡花さん。私は寂しいのですよぅ』

「おまえ、夕食はどうしたんだ?」

『そこも女子高生に任せっぱなしだなんて、ひどいじゃありませかぁ』

「コンビニで済ませよう。なにか買ってこい」

『えーっ、せっかくだったら、もっとこう、地物を食べたいのですよぅ』

「だったら一人で行ってこい」

『うげげっ。どうしてそこまで冷たいセリフを吐けるのですか?!』

「釧路といえば、なんだ?」

『炉端焼きなのです』


 誰も見ていないにもかかわらず、私はつい、苦笑を浮かべ、肩をすくめた。


「考えてもみろ。いまは夏なんだぞ。なにが悲しくて熱い網のまえで物を食わなくちゃならんのだ?」

『あー……確かに、それはそうかもしれませんねぇ……』

「なんでもいいから、買ってこい」

『承知したのです!』


 敬礼した千鶴の姿が、目に浮かんだ。


 ――千鶴がごっそりビールを買ってきた。「北海道限定らしいのですよっ」と声を弾ませる。「未成年がどうして買えたんだ?」と訊くと、「私は大人っぽいのです」などと答えた。どこからどう見てもガキくさいのだから、コンビニ店員の失態と言える。まあ、買ってきてくれた分にはありがとうと言いたい。エイヒレとスルメを選んできてくれたことも助かった。「鏡花さんはしゃぶることが好きだと思ったのですよ」とある意味、卑猥なことを言ってくれた。千鶴ときたら「あーん」とまさにいやらしく魚肉ソーセージをくわえた次第である。


「今日はとっても楽しかったですけれど、移動距離がハンパではなかったですよね」椅子に腰掛けている千鶴が言う。「六千キロくらい走ったのではないですか?」


 ベッドの端に腰掛けている私はそれこそスルメをしゃぶり、缶ビールを傾けると、「つまらん冗談だ」と答えた。


「明日も移動ばかりなのでしょうか」

「まあ、マキナは車やバイクを走らせることが、このうえなく好きなニンゲンだからな」


 でも。

 そう前置きすると、千鶴はクスクス笑った。


「マキナさんって、徹底しているのです。まさか、カーナビすら見せてもらえないだなんて」


 そうなのだ。今回の旅行をするにあたり、マキナは真っ先に、カーナビの画面に紙を貼りつけたのだ。マキナは今回の旅行は「ミステリーツアー」だと言った。


「二泊三日なのは、確かなのですよね?」

「そこは嘘をつかんだろう」

「もっと北海道らしい風景が見たいのです」

「拝めるだろう。あいつもそこまで、馬鹿じゃない」

「今日は添い寝をしていただけますでしょうか?」

「いいや、しない。早く寝ろ」

「はいなのです」


 えらく聞き分けのいい千鶴である。

 明日に疲れを残さないためだろう。

 英断と言えた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 釧路湿原は期待して行ってしまうと言葉が出ないかもしれないですね〜。 だってただのだだっ広い湿原、それしかないですもん。笑 でも私のようなマニアックにはたまらない場所です。 双眼鏡片手にずーっ…
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