十六ノ03
くだんの青年が、私の古書店――「はがくれ」を訪ねてきた。やはり紙の書き物を持って。私は「ちっ」と舌打ちしてしまうくらいの面倒さを感じたのだが、曲がりなりにも、「読んでやる」ようなことは言ってしまったわけだ。自分が吐いてしまった言葉については責任を取らなくてはならない。
――書き出しから眉をひそめるしかなかった。主人公は「古書店の主」であり、「のっぽ」であり、「爆乳」であり、「著しく口が悪い」のである。いわゆる「地の文」で、そう紹介されている。まさかと思って――否、なかば確信をもって訊ねたら、「そうです。あなたを主人公にしてみました」と返ってきた。青年はにこにこしている。「だって、あなたは実在のヒトをモデルにしろって言ったじゃないですか」と、なかば得意げに続けた。
私はしかめっ面をして、それから、ゆるゆると首を横に振った。
「おまえはやはり、阿呆のようだな」
「えっ、どうしてですか?」
「まず、爆乳という表現はよくない」
「でも、事実じゃありませんか」
「私もその表現をまま使う。しかし、正式な小説にしようとするなら、書くべきではない」
「でも、わかりやすくて、いい言葉じゃありませんか」
「そうは思わんね」
「男性は喜ぶと思います」
「そんなんだから、阿呆だと言っているんだよ。それは裏を返せば、女はヒくということだろうか」
「爆乳って、そんなに、悪いことですか? 悪い語句なんですか?」
この青年の悪いところだ。なにも聞こうとしないし、自分の考えは正しいと思い込んでいる。
「いいじゃないですか、爆乳。爆乳は正義です」
「まったく、やれやれだよ。爆乳爆乳とやかましい男だな」
私は額に右手をやり、首を横に振った。茶の間の端から投げ出している脚を組み直す。レジ台の向こうでにこにこ笑っている青年をしかたなく見やる。
「これは私の考え、いや、深い考えだが、おまえの判断は誰も喜ばん。賞の名前までは覚えていないが、あれだ、『太陽のなんちゃら』という小説を書いた人物がいるだろう?」
「そのヒトが、どうかしましたか?」
「だから、彼は当該の賞の審査員をしていてだな、そのときに嫌気が差した小説について、こう言ったらしいんだよ」
「いったい、なんて言ったんですか?」
「タイトルを見て吐き気がして、内容を読もうなんて思わなかった」
青年は「えーっ!」と言って、大げさに上半身をのけ反らせた。
「そんなの、ひどいじゃありませんか。内容も読まずに落選させるなんて」
「おまえのこれは?」私は紙の束を右手で叩いた。「なんてタイトルにするんだ?」
「それはまぁ、『爆乳古本屋探偵の華麗なる事件簿』とか……」
「爆乳であることは認める。認めてやろう。が、私は探偵ではないし、華麗なる日々も送っていない。そもそも『華麗なる事件簿』という日本語がおかしい」
「そのへん、物語に見合うように改善してください、お願いします」
さすがの私も目を見開くしかなかった。口もあんぐりと開けるよりほかなかった。怒りを覚えた。それでもそれを自分の中で処理できるあたりは、私も成長したということなのだろう。私はもうすっかり二十七になったわけだが、ニンゲンは毎日、少なくとも日進月歩なのだ。
「二度も言わせるな。出直せ。まずはきちんと学校に行け。そしてきちんと就職しろ。人生経験に乏しいニンゲンの書く小説なんて、たかが知れているんだよ。ダメになってしまったコンテスト優勝者なんていくらでもいるだろうが」
「だ、だから、僕はパイオニアに――」
パイオニア、パイオニア、パイオニア。青年がそればかり言うので私はいいかげん腹が立ち、立ち上がって、レジ台を回り込んだ。それから青年の頭を引っぱたいてやった。
「な、なにするんですか!」
「阿呆が。ありがたく思え。どうあれ相談には乗ってやったわけだからな」
「傲慢だ、横暴だ 無理強いだ!」
「そう思うなら、とっとと帰れ。そして二度と来るな」
青年は涙目をして身を翻すと、「馬鹿野郎ぅぅっ!」と叫んで、立ち去ったのだった。
――翌日のこと。
青年がさっぱりと短髪にし、着慣れていない感がありありと窺えるグレーのスーツに身を包み、我が古書店を訪れたのだった。私は相変わらず茶の間から脚を投げ出し、その脚を組んでいる。なぜだろう。青年は照れくさそうに笑い、後頭部を掻く。
「もう来るなと言ったつもりだが?」
「あの、でも、てへへ……。がんばろうとしている姿を見ていただきたくて」
「がんばろうとしている姿?」
「今日から就活を始めるんです。みんなと比べると、ずいぶん出遅れてしまったんですけれど」
私は目を閉じ、うんうんと頷いた。
「本気なんだな?」
「もちろんです。やるからには、一生懸命にやります」
「いいことだ」
そう言い、微笑んでみせてやった。
「希望の職種は? あるのか?」
「IT系です。ネットワークです」
「エンジニアか?」
「いえ。営業です」
「営業はキツいぞ?」
「ご経験が、あるんですか?」
「ああ。決して楽しいものではなかった」
それでも僕はがんばります!
青年は力強くそう言い。
「キツいんだったら、そのぶん、人生経験になるかもしれません」
「スーツがぶかぶかだな。まあ、いずれはパリッとした姿がなにか、わかるんだろうが」
「また来ていいですか?」
「かまわん」
「なにかお礼がしたいです。お世話になりましたから」
「だったら――と言いたいところだが、おまえがまともな稼ぎが得られるようになってからにしよう」
「あなたはほんとうにイケてますし、カッコいいし、イヤラシイですよね」
「抜かせ、若造」
私はかんらかんらと笑ってやった。