二ノ02
軽トラの運転席には楡矢が、助手席には私がいる。目的地は某大型古本チェーンの直営店だ。楡矢は運転がうまく、そのせいもあって私は眠たいのだが、目を閉じたところで「鏡花さん、鏡花さん」と二度も名を呼ばれたので、相手をしてやることにした。
「本の価値を舐めてるアホな店で仕入れをして、それをネットで売りさばく。理には適ってるけど、あんまり賢くないし、儲けられる手段やないよ。時代遅れもええとこや」
もっともな言い分ではあるが、「代案が浮かばんのでな」と正直に答えた。
「そもそも鏡花さん、本に詳しいん?」
「古書店の主に向かって吐くセリフじゃないな」
「実際のところは?」
「造詣は深くない」
「あかんやん」
「いいんだよ、それくらいで。誰にもなににも媚びたくはないからな」
「カッコええなぁ」
「ああ、そうだ。私は格好いいんだ」
黄色信号が見えたところで、減速した。早めのブレーキに好感が持てる。思考と物言いは飛躍的だが、一般社会のルールには適応しているらしい。
「なんやったら、俺が支援したってもええんやけど?」
「ほぅ。私を囲おうというのか。豪胆なことだ。身の程知らずでもある」
「見返りなんて求めへんよ。ちゅうかさ、鏡花さん」
「二人きりなんだ。いちいち名前を呼ばなくていい」
「誰よりもあなたの名前を呼んだ男になりたくて」
「口説き文句としては、なかなかに上等だな」
肩をすくめ、なんとはなしにサイドガラスの外に目をやった。髪の長い女が歩いているのが見える。えらく脚が細い。いまにも折れてしまいそうだ。華奢という要素とは無縁でいたい。私の尻と太ももは肉感的だ。
発車した。
「最近の音楽の傾向って知ってる?」
「流行りの曲ということか?」
「まあ、そないな感じ。売れるのは総じてイントロが短いんよ。ない場合も多いな」
「現代社会において、即物性は肯定される。おかしなことではないだろう」
「せやけど、それをやってしまうと想像力を削ぐことになるし、ヒトの創造性を阻害することになってまうよ」
今度は黄色信号で突っ込んだ。的確なハンドル捌きで右折する。万能的ではないか。感心に値する。
「最低限のボリュームで情報を伝えること自体は悪ではない。話が早いというやつだ。誰も冗長な作品など求めない。速やかにイキたくてしょうがないのさ」
「結論を急ぎすぎるのは嫌いなんよ。なんで二次元的にしか語れへんヒトが多いんやろうなって思う。やっぱさ、物事には奥行きがないと」
「退屈だと断じられてしまっては元も子もない」
「目的によるってことやよね。最も浅はかなヒトってのは?」
「強がりながらも評価を欲しがるニンゲンだ」
「俺はそういう奴には、あんまり会ったことがないなぁ」
「おまえは幸せな男なんだろう」
目的地を示す青く大きな看板が見えてきたところで、また信号に捕まった。前の黒いワゴン車のリアガラスに「赤ちゃんが乗っています」と書かれた黄色いステッカーが貼られている。
「親御さんは性善説を信じてはるんやね」
「違う。性悪説を優先した結果だ」
「あー、なるほどなぁ。そうかぁ」
「おまえはボトムアップ式の思考が得意ではないようだ」
「否定はしません。できません」
発車した――が、左折の列がじりじりとしか前に進まない。くだんの店の駐車場に入る車両で混雑している。誘導員まで立っている。
「へぇ。朝っぱらから混むんやねぇ。いつもこないな感じなん?」
「ああ。品揃えがいいからだろう。客は多い」
「俺もなんか買おっかな……あっ」
「なんだ?」
「財布忘れた」
楡矢のファッションは昨日と同じだ。エナメル質の赤いジャケットにタイトな黒いパンツを合わせている。バッグなどは持ってきていない。
五分ほど待ったところで、ようやく駐車場に入ることができた。
「どないしよ。待ってよかな」
「馬鹿を言うな。荷物持ちに呼んだんだぞ」
「そうやよねぇ」
シートベルトを外し、降車する。店舗へと向かう。楡矢が隣に並んだ。私より十センチは背が高い。
「鏡花さん、予算は?」
「二千円だ」
「ケチやねぇ。貯金もないのん?」
「ある」
「せやったら――」
「できるだけ切り崩したくない」
「金は天下の回り物や言うで?」
「私はいつか結婚するかもしれない。赤ん坊を生むかもしれない。そいつはどうしようもない馬鹿で借金をこしらえるかもしれない。私にも親心が芽生えるかもしれない」
「なに、その、かもしれないコンボ」
「私は博愛的なんだよ」
入店した。
「どこ行くのん?」
「アガメムノンみたいな発音だな」
「あははっ、そうやね」
百十円で買えるハードカバーのコーナーにて、物色を開始する。
「それっぽいのを探すだけ?」
「ああ。知識があるなら協力しろ」
「残念ながら、ないよぉ。かんにん」
「問題ない。期待していない」
楡矢も棚から本を一冊、手にした。
「クリティカル・シンキングか」楡矢は「懐かしいなぁ」と言った。「新人研修のとき、読まされたわぁ」
「同様の記憶がある」私はMBAに関する書籍に目を通している。「エンジニアとしての採用だったんだが、意識高い系の会社でな、プレゼンの練習ばかりさせられた。何度、辟易したことかわからない」
「俺はなんでもおもろかったけどね。なんでもできるニンゲンになりたかったから。っちゅうか、こないなジャンル、売れるん?」
「売れる。経験則だ」
「せやけど、一冊あたりの儲けなんて数百円やろ?」
「塵も積もれば山となる」
「塵すぎると思うけど」
「もう黙れ」
「ごめんなさい」
ぱらぱらとページをめくる――皺や汚れを確認しているのだ。満足行く物であれば、買い物籠に入れる。その作業のくり返し。
「見てると欲しなってくるねぇ」うきうきした様子の、楡矢。「俺もなんか買うてもろて、ええ?」
「そんな予算は計上していない」ばっさり斬ってやった。「暇なら漫画の立ち読みでもしてくるといい」
「えぇーっ、ホンマに御礼もなんもないのーん?」
「そんな約束をした覚えはないと言った。そうでなくとも見返りは要らんのだろう?」
「それとこれとは話が別やん。まあ、ええわ。ちょい行ってくる」
「十分後に戻ってこい」
「りょうかーい」
楡矢が戻ってきたのは、三十分後だった。もう見繕い終えていた私は、当然、おかんむりだ。
「なにをしていた?」
「ちょい金を仕入れてきました」
金を?
私は怪訝さに眉根を寄せる。
楡矢はジャケットの右のサイドポケットから、紙幣を取り出した。
一万円札を十枚、広げてみせる。
「時計、売ってきてん」
たしかに、腕に巻いていたごつい銀色のそれがなくなっている。「思たより高く売れた」とご満悦の様子だ――いたずらっ子のように、にひひと笑う。
「欲しい物が見つかったのか?」
「ちゃうよ。一緒に飯でも食べよう思て」
「ほぅ。奢ってくれるとは殊勝じゃないか」
「せやろ?」
「だからといって、仕事は放棄させんがな」
私は買い物籠を持ち上げ、それを楡矢に押しつけた。