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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十五.カイトの就活
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十五ノ04

 ――一週間後。


 今日の昼食は奮発して――いつもなら野菜炒めやカップ麺で済ませるところだが、くだんの「サニーロード」の弁当屋――「はちみつ屋」で仕入れることにした。「はちみつ屋」。弁当屋にはなんとなく、こう、ふさわしくない名だと思うのだが、かわいらしいとも言える。女房の寛子が付けた名なのではないだろうか。そんな感じがする。


 カイトが職に就いて、そう、まだ一週間なのだ。なのに、カイトが一人で店頭に立っているという。本人からそう聞かされた。思いきった判断だ。しかし、いくらなんでも、重用しすぎではないだろうか。


「あっ、鏡花じゃんか」


 といった具合に、カイトの反応はあっけらかんとしたものだった。


「ほんとうに、おまえ一人なのか?」

「う、うん、そうなんだ。昨日からなんだ」


 カイトは照れくさそうに笑う。白いエプロンはつけているものの、キャスケットはかぶったままで、ノースリーブの白いシャツからは細い両腕が見えているものだから、私は「エロいな」と感想を言った。「どどどっ、どこがエロいんだよ?!」と訊ねられた。


「ショーケースの高さもあって、おまえの巨乳ぶりは目立たん」

「巨乳ぶりとかっ!」

「だが、美少女すぎる点はどうなのか。男に襲われたら対処できんだろう?」

「対処できんとかっ!」


 まあいい。私はそう言い、笑みを作った。はにかんでみせたカイトである。


「自分でもびっくりしてるよ。どうあれ店を任せてもらっているんだからな」

「だから、そこには信頼があるということなんだろう」


 私は二つ、頷いた。

 カイトは笑顔、笑顔、「ほんとうに、嬉しいなぁ」と顔を赤らめた。


「弁当を買いにきたんだ」

「ただ様子を見にきてくれたんじゃないのか?」

「それっていけないことか?」

「い、いや。なんでも作ってやるよ。えへへ。手際のよさはおっちゃんにもおばちゃんにも褒めてもらったんだ」

「それはめでたい」

「だろ?」


 カイトが消えた。ばたばたという音が聞こえ、なんの騒ぎかと思っていると、パイプ椅子を二つ抱え、脇の勝手口から出てきたのだった。


「おい、ここで食えというのか?」

「ダメか?」


 私は「まあ、いいか」と呟き、頬を緩めた。


 パイプ椅子に座り、「メンチカツ定食をもらおうか」と伝えた。「おぉ、てっきり、コロッケ定食かと思ったぞ」と言われた。私はよほど、貧乏だと思われているらしい。


 カイトは店内に消えた。ものを揚げている音が、外にまで聞こえてくる。ほんとうに立派にやっているようだ。そう思うと、またもや頬を緩めざるを得なかった。


 プラスティックの容器を胸の前に抱え、カイトが店から出てきた。本人が誰よりも嬉しそうに、「はいっ!」と差し出してきた。「はいっ!」と割り箸も差し出してきた。いい匂いがする。これがメンチカツの成せるわざというわけか。


 私はメンチカツを齧り、それから白飯を掻き込んだ。「ど、どうだ?」と不安そうなカイト。「大丈夫だ。全然、うまい」と答えた。カイトはほっとしたように胸に手を当て、「ありがとう」を連呼した。


「もうわかってると思うけど、このメンチカツ、俺がいま、揚げたんだぜ? そうなんだよ。揚げたてなんだ」

「もう言った。うまいよ。新人が作れる味だとは思えん」

「それもおっちゃんとおばちゃんが親切だからなんだ」

「まあ、そういうことなんだろうな」


 パイプ椅子に腰掛けている、私。

 そのまえでいろいろと感想を期待しているらしい、カイト。


「やはりうまいよ、それだけだ。これ以上の私見なんて要らんだろう?」


 カイトは俯き、ひっくひっくとしゃくり上げだした。


「ホント、奇跡だよ。俺みたいな奴でも、ヒトの役に立てるんだ」

「両親には? もう話したのか?」

「働き始めるって言ったら、泣いて喜んでくれた。ホント、泣いてくれたんだ……」

「それはよかった。なによりだ」

「な、なあ、鏡花」

「なんだ?」

「抱き締めてくれよ。ご褒美だろ? それくらい」

「待っていろ」


 私はがつがつと弁当を掻き込んだ。空いた容器については、パイプ椅子に置く。「ほら、来い」と言ってやると、カイトは強く強く抱きついてきた。


「ありがとう。ありがとう。俺、一生懸命にがんばるよ」

「いつかおまえも自前の店を持ったらいい。なにせヒトのいい夫婦だ。暖簾分けについては、嫌とは言わんはずだ」

「どうして鏡花の胸はここまで柔らかいのかなぁ」

「誰かに優しくあるために、そうあるのかもしれないな」


 カイトは離れると、私を見上げ、にっこりと笑った。


「俺、ホントにがんばるから。……でも、つらいときもあると思うんだ」

「そのときはまた、私の胸を借りたいという話だろう?」

「ダメかな?」

「いいや。おまえが相手ならゆるしてやる」


 俺、ホント、感謝してる。


 そんなふうに言うと、カイトは俯き加減で、ぺしょぺしょと泣いたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 働けるようになってよかったねぇ。労働の一番の価値は、自分にも社会に居場所があるのだと、社会の誰かにとって価値があるのだと、自覚できることなのかもしれませんねぇ。
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