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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十五.カイトの就活
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十五ノ03

 隣町の駅前にある商店街――「サニーロード」は、我が「きずな商店街」にひけをとらないほど寂れている。しかし、その店はそんな場所に構えているにもかかわらず、潰れたり畳んだりする雰囲気は感じられない。むしろ昼どきになるとオフィス街にキッチンカーを出すほどの積極性を持った店なのである。


 「サニーロード」の本店に、私はカイトを連れていった。この店が精力的に利益を計上しているであろうこと、もっと下種な言い方をすると、かなりの稼ぎを得ているだろうということを知っている。ぼろっちぃ店構えなのだが、いつもいつもなにかしらのいい匂いがしている。夫婦で切り盛りしている。二人はよほど仲が良く、またがんばり屋さんなのだろう。それくらいは嫌でも察することができるのだ。


「スッゲ―いい匂いがする。こんなの俺、初めてだ」

「それはともすれば両親への侮辱になるぞ」

「い、いや、そういうことじゃないんだ。俺はただ、その……」

「わかっているよ。当該からは妙にいい香りが漂ってくる。うまいものを作っているという証左だ」


 私は腕を組むと、自分のことのように満足した。


「そ、それで? 俺にここで働けっていうのか?」

「勘違いするな。彼らはプロだ。働かせてもらうんだ」


 するとカイトは大きくした目を逸らして。

 それから強い目を向けてきた。


「そんなのわかってる。わかってるよ。簡単に働き口が見つからないのもわかってる。見つかっても大変なのもわかってる。でもな、鏡花、俺、本気でがんばりたいと思っているんだっ」

「おまえのやる気は知っている。二度も三度も言わせるな」

「お、お願いします」


 カイトはぺこぺこと頭を下げてみせた。


 ――店舗に近づく。いい匂いがいっそう強くなる。これだけ漂わされていると、誰もが神経を向けざるを得なくなるだろう。


 私が店頭に顔を出し、「話をしにきた! 出てきてくれ!」と声を発した。「はーい!」という女性の朗らかな声。「話をしにきた!」と言われた時点でおかしなことだと気づいてもよさそうなものだが、この店の夫婦は揃ってフレンドリーで売っている。


 声のとおり、女房のほうが出てきた。ショーケースとでも呼称すればよいのだろうか。とにかく店の表には、うまそうなコロッケやらエビフライやらメンチカツやらが並んでいる。「メッチャおいしそうじゃん……」と呟くようにカイトは言った。唾を飲んだ。自然現象だろう。


「あらぁ。鏡花ちゃんじゃない。珍しいわ」女房はころころ笑い、このへんの屈託のなさ愛想のよさが、商売における売り上げにも寄与しているのだと思われる。「まさか界隈一の美人さんが、お弁当、買いにきてくれたの?」


 界隈一というスケールの小さい表現にはむっとなった――りはしない。怒りもしない。事実は事実として割り切らなければならない。それが大人というものだ。


 私は「そうでもないんだ」と苦笑を浮かべた。「ちょっとしたお願いがあってきた。相談に乗ってもらえないか?」と続けた。


「なんでもいいよ。教えてやってくださいな」

「だったら、ソッコーで話そう。こっちのキャスケットの女が、貴店で働きたいと言っているんだ」


 カイトは恐縮したように肩をすぼめた。今日も白いシャツに茶色いサスペンダー、黒いズボン。いまの日和りにキャスケットは多少、暑そうだ。


 無理なお願いだけはしたくない。私はそう告げ、「使えないと思ったら、すぐに切ってもらっていいんだ」と補足した。ふぅんといった感じながらも、興味を持ったような女房。「いま、そっちに出るから待っててね」


 私は無造作に、カイトの胸のまんなかに左手をやった。ドキドキしまくっている。ここまで健気で愛らしい少女を、私は他に知らない。


 そのうち、女房がパイプ椅子を二つ、携えてやってきた。慌てた様子で、カイトが近づく。持ち運ぶことを手伝う。そして、商店街――アーケードの下において、二人は向かい合った。まったく、採用面接の場にしては気が利いている。


 女房が座ったところで、カイトも椅子に腰を下ろした。私はカイトの右隣に立った。もうなにも手を貸さないでやろうと決めた。自分の行く末を決めるのは、いつだって自分自身だ。


「どうして鏡花さんについてきたの?」

「そ、それは、頼ってというか、なんというか……」


 煮えきらない態度を目にすると、フツウ、ヒトは不満に思うものだ。しかし、女房の視線は優しい。なんの理由も理屈もわからなくても、「協力してやろう」、そんな気構えが伝わってくる。


「お嬢さん?」

「は、はいっ、なんですか?」

「そのブルーの帽子、キャスケットっていうのよね? それはどうして取ってもらえないの? 一般的には無礼に当たるのよ?」

「こ、これは、それは、その――」

「私は驚かない。なにがあっても」


 カイトは驚いてから、すぐに顔をぱぁっと明るくし。


「ほんとうに、みっともない話なんです。だから、それでも、俺は――」

「隠し事をしているうちは雇わないかもしれない。でも、全部全部を正直に語ってくれたら、考える」

「ううぅ、うっぅ……」

「見せてみなさい。おばちゃん、しっかりしてるから」


 意を決したように、ついに、カイトはキャスケットを取った。「わあ」と女房がまあるい声を出した一方で、カイトはなんだか申し訳なさそうに頭を下げ、そのうえ、弱々しい声で、「ごめんなさい」を連呼したのだった。


「触ってもいいかしら?」

「ダ、ダメです。恥ずかしい以外のなにものでもないんですから」

「どうして恥ずかしいって思うの?」

「えっ?」

「それは神様から与えられた素敵な耳じゃない。誰が差別するっていうの?」


 カイトは目にじわりと涙を溜め。


「いいわよ。鏡花さんが連れてきた理由もわかりました。一週間ほど、試用期間を設けてもいいかしら? いくら不遇に遭っていても、そのニンゲンが使えなかったら、意味がないから」


 そ、それじゃあ、と前置きし、カイトは喜びに満ちた顔をした。「お、俺、がんばります! ずっと雇ってもらえるように、がんばります!!」

「私は寛子(ひろこ)っていうの。ずっと長いこと、一緒にがんばれるといいね」


 私は「寛子」と声をかけた。ずいぶんと年上である相手なのに、今日もタメ口である。「使えないと踏んだら、容赦なくクビにしていい。ほんとうに、そうしてもらっていい」


「誰だって最初は失敗する。でもきっと、いい看板娘になってくれるわ」

「看板娘は寛子でいいじゃないか」

「もうロートルのおばさんですから」


 寛子は微笑み、「さあ、来なさい。働くわよぉ!」と言い放ち、それにつられるようにして、カイトは「はいっ!」と立ち上がった。


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