十五ノ02
カイトはちゃぶ台のまえに正座をするなり、緑茶が入った茶碗を傾けた。「メッチャ冷めてるじゃん……」とこぼした次第である。
「これは冷めたやつのほうが、味わい深いんだ」
「ほ、ほんとうか?」
「そんなわけないだろうが」
「あう、ぅ……」残念そうな声を発したカイトは愛らしく、今度はバッと顔を上げてみせた。「と、ところで、僕の話なんだけど」
「僕はもうやめたらどうだ?」
「へっ?」間抜け面をかましたカイトである。「僕は僕じゃん。どういうことだ?」
「僕だなんて言っていると舐められるぞ。一人称は、俺、にしろ」
するとカイトは「えっ、ええぇっ!」と驚いたふうな声を出し。「だ、だから、僕は僕じゃないか!」
「俺と言ってくれたほうが萌える」
「ももっ、萌える?」
「年長者の言うことは聞くものだ」
「嫌だ、そんなの。そんなふうに自分を言ったら――」
「ヤッてくれる男が減りかねないとでも言いたいのか?」
「へ、へ?」
「だから、男に突っ込まれる可能性は、極力、否定したくないということなんだな?」
するとカイトは顔を真っ赤にして、「馬鹿野郎ぅぅぅっ! 鏡花なんか死んじゃえぇぇっ!!」と叫んだ。
私は「はっはっは」と大らかに笑い、それから本音として、「僕より俺のほうがいいと思うぞ?」とまた言った。「そ、それはどうしてだ?」と改めて訊ねてきたカイト。「開き直ったほうが美しいだろう?」と答えてやった。するとカイトは困ったように頭を抱え。
「それはそうだよぅ。俺って言えたら、なんだかカッコいいよぅ」
「だったら、俺で通してみろ。大丈夫だ。売れ残ったら、私が買ってやる」
カイトの表情はぱぁと明るくなったのだが、「か、買われたら、やっぱり、えっと――」などと心配そう俯いた。
「無論だ。私の魔法の中指で著しく激しくイッてもら――」
「嫌だぁぁっ! 僕はそんなの、嫌なんだぁぁっ!!」
「また僕と言ったな? そんなふうに言ったら、下半身を中心に折檻して――」
「だから、やめろぉぉっ! エッチな物体を連想させるのはもうやめろぉぉっ!」
「エッチな物体とはなんだ?」
「ピピ、ピンク的なものだよぉぉっ! ちっちゃいながらも微動しまくるアレだよぅぅぅっ!」
私は至極冷静に、「それで、話とはなんだ?」と問うた。カイトは真っ赤になった顔を両手で覆っている。まったく可愛らしい。なんらかのかたちでなんらかを突っ込んでやりたいと思う次第だ。
やがてカイトが顔を見せてくれた。やはり頬を赤らめている。
「そ、その、鏡花? じつは僕――」
「僕じゃない。俺、だ」
「なんでこだわるんだよぉ」
「萌えるからだ」
「わかったよぅ。そうするよぅ」
「で、俺氏、じつはなんなんだ?」
ぎゅっと目を閉じた、カイト。恥ずかしそうでありながらも、思いきりといった感じで、「お、俺、働こうと思うんだっ」と言ってきた。私はきょとんとなった。まさかひきこもりで有名なカイトが仕事を? ――しかし、だからこそ、注意力をもって相談に乗ってやらなければと考えるのだった。
「高校に通うという選択肢もあるぞ?」
「俺、保育園からずっと、まともに学校に行ってないんだ」
「まあ、そうだろうな。それはわかる」
今日もブルーのキャスケットをかぶっている、カイト。愛らしい猫耳がくっついているのは、関係者からすると知れた話である。
「やっぱり、猫耳はダメか」
「高校に通うとか進学するとか、ダメだと思うんだ」カイトはしょんぼりした。「だって俺、獣人なんだから」
私なら気にせんがな。
そんなふうに主張すると、今度はカイト、眉根を寄せて難しい顔をして。
「変だよ、やっぱり。ほかのヒトとは違うんだもん。無理だよ、そんなの。――でもっ」
「ああ、そういうことだな。うまく事が回れば、確かに、社会人として働けるかもしれん」
「社会人っていう言葉は、ちょっとキツいんだけど……」
「なんだったら、私の店で雇ってやるぞ?」
「そ、それは違うんだ。それはダメだと思うんだ」
私に飼われっぱなしでは、毒にも薬にもならないし、だからこそ、事に対するカイトの真面目さというものが窺えた。
「私はおまえのキャスケット姿が好きだ」
「えっ?」
「獣人。そういった者たちに理解がない世を嘆きたい」
カイトは目を潤ませる。
「俺、ときどき思うんだ。だって俺、なにも悪いこと、してないじゃんか。なのにヘンテコな耳が生えているから……」
「集音性は?」
「えっ?」
「いや。立派な耳がついているんだ。だったら、よく聞こえるんじゃないかと思ってな」
「こんなの飾りだよ。ほかのヒトと変わらないよ」
私は「結局のところ、おまえはどうしたいんだ?」と訊ねた。するとカイトは、「耳を晒さないで済むなら、どこだっていいんだ」と答えた。
「それはわかる。だが、いつまで耳を隠して生活するつもりなんだ? おまえだっていつか、なんというか、こう、アレだ。格好のいい男と所帯を持ちたいんじゃないのか?」
「だから、まだそこまで大それたことは考えてないんだ。ほんとうなんだ」
しつこいことに、再び涙をこぼすカイトである。
「たぶんだけど、俺みたいなニンゲンが新聞とかテレビになったりとかしたら、大騒ぎになるだろ?」
「嫌なのか?」
「そんなの、好きなニンゲンがいるわけないじゃん」
「まとめよう。つまるところ、おまえがなんとかしてほしい点はたったの一つだけだな。耳を隠したまま就ける職業を斡旋してもらいたい。そういうことなんだな?」
カイトが「だってそうするしかないじゃんよぉぉ……」と、ちゃぶ台に覆いかぶさった。「俺、変なんだもん。どうしたって、変なんだもん」
いよいよ難しい問題と化してきた。
「おとうさんとおかあさんは、一生心配するなって言ってくれてる。でも、そんなの悪いじゃんか。まえにも話したけど、悪いじゃんか」
切実さ、ここに極まれり。カイトはイイ奴だ。イイ女でもある。そんなのがしくしく泣いているのを見ると――面倒事には違いないのだが、とにかく年下だということもあって、力になってやりたくなる。
そして、私にだって、あてがないわけではない。この界隈のことなら、ある程度は把握している。そして、カイトのことを優しく包んでくれるような店は、たしかにあるのだ。
「行くか、カイト。話をまとめるなら、早いほうがいい」
「えっ、もう行くのか?」
「なにが起きるか、その点については怖くもあることだろうが、いつかは始めないと、なにも進展せんぞ」
「わ、わかったっ」と返事をし、カイトは力強く腰を上げた。「どこにでも連れていってくれ。俺、そこでがんばるから」
「じつはその道のヘルスだったりするんだが?」
「へっ? ヘルス?」
「主に男のイチモツを満足させるために手を尽くしてやる貴重な仕事――」
「それはやめろぉぉ! やめてくれぇぇっ!」
冗談に決まっているのだが、カイトの反応は、おもしろいものだった。
「大丈夫だ。悪いようにはせんよ」
「ありがとう、鏡花!」
カイトの声は弾んでいる。