十四ノ04
なにもできない最中にあって、ケータイに通話の要求があった。私は飛びついた。それだけの理由があった。エリが健在であることを、とにかく知りたかった。電話を寄越してきたのは楡矢だった。
「踏切の音と消防車とかのサイレン。それだけの情報で事実に行き着いた俺のこと、鏡花さんには褒めてもらいたいな」
「そこにある理由はなんだ?」
「企業秘密やし、そうやなくたって、俺は万能なんやよ。鏡花さんより、ずっとな」
冗談でやり過ごすつもりはなく、だから「エリは? 彼女はどうなった?」と慌てて訊いた。
「もう死んでる」
「死んだ、だと……?」
「おいでぇや。住所言うさかい」
「……頼む」
「鏡花さんからお願いされることは、この一件だけに収めたいね」
「どうしてだ?」
「あなたの弱い姿なんて、見とうない」
「それはわかった。だから、だから、その場所だけは教えてくれ」
「圧倒的な現場保存をお目にかけたるわ。警察にくれてやるには、まだまだお仕置きが足らんねわ」
電話の向こうから聞こえてくる。男の醜い悲鳴。「痛いやろぅ、痛いよなぁ! おまえらただで殺してもらえると思てるんちゃうぞ。あらゆる痛みを与えた上で、最後の最後は阿呆みたいなぎりぎりの線で脳を焼き切ったるさかいなっ!」という楡矢の声。
ヒトをどうこうしている音が聞こえてくる。そう。このガスガスガスという音は、ヒトを乱暴に殴りつける音だ。楡矢がそうしているのだ。そこまでやる理由はなんなのだろう。興味をもってなどと言うと失礼だ。私は楡矢が怒っているわけを知りたい。その権利くらいはあるはずだ。
――私は指定された場所を訪れた。ラブホテルだった。そのすぐそばで、火事が起きている。踏切の音もする。どういうことかはわからないが、それだけの情報で、楡矢はあたりをつけた。恐ろしい能力だ。それくらい彼の守備範囲が広いということの証左でもある。
ラブホテルの部屋にまで至った。男の「ぎゃあっ」やら「ぐあっ!」などという醜悪な声が聞こえてくる。鍵は開いていて、だから私は中へ踏み込んだ。最初に目に飛び込んできたのは、楡矢が男に馬乗りになり、そいつのことを上からがんがんがんがん殴りまくっている画だった。あからさまにキレている。私の存在にも気づかないくらい、がんがんがんがん拳を振り下ろしている。
私は「おい」と発した。「おい!」と強い声をかけた。すると楡矢は振りかざす拳を止め、真っ赤に染まった拳についてはなにも触れないまま、「よぅ、鏡花さん」と笑って答えた。
私はひどい頭痛を覚え――だが、事実関係を確認しようと考えた。ベッドのうえで、女が死んでいる。死んでいることくらい、見ただけでわかる。服をひきちぎられ、スカートをひっぺがされた半裸の状態で、女はベッドの上で仰向けになっている。
楡矢は怒りにまみれたストンピングを男に浴びせる。男は三人いる。うち、二人は気を失っている。やっぱり楡矢がやったのだろう。
「悔しいけど、これが事実や。事実なんや」らしくない、楡矢の声には悲痛な色合いが窺える。「助けられへんかった。この件、俺んなかでもあと引くわ」
「状況だけ教えろ。確認したい」
楡矢は茶色い大きなサングラスをはずし、はぁと深い吐息をついた。
「詳しいところはこれからや。ただ、この女のコ、女性は、三人にレイプされそうになってた」
「レイプ……?」
「うん。どうあれそれが我慢ならんかったんやろうね。舌噛み切って死んだんや。このコが、やっぱりこの女性が、どんだけ強いヒトやったか、わかるってもんや」
もうすでに悲しみはおろか、やりきれない思いすら浮かばなかったので、私はとりあえず、仰向けのエリのそばに寄った。舌を噛み切って自殺したニンゲンの顔をはとても見れないものだという。エリもそれに違わずだった。
「おまえは……それでよかったのか?」
「男を三人も殺すって話?」
「ああ、そうだ」
「何回も言うてるよね? 俺にはコネがあるんやって」
「死体すら、なかったことにできるのか?」
「できるけど、今回の件は、うまいこと手ぇ回したうえで、あったことをのたまいたいね。悪いけど、親族にも罪はかぶってもらう」
「それで、いいのか?」
「案外、俺はなんでもできるニンゲンなんやよ。なんやったら、抱き締めたろか?」
「それは要らん。ただ、今回の件で、私はそれなりに傷ついた」
楡矢は笑った。
「あなたのニンゲンくさいとこ、俺は大好きやよ」
「最後に問う。おまえの考えを知りたい。エリはどうして、レイプされなければならなかったんだ?」
「一人が吐いた。どうも付き合ってる男が売ったらしい」
「身体を売らせて、金を稼がせようとした。そういうことか?」
楡矢はまた、苦しげに笑った。
「そないなこと、確かめてどうするんさ。知らんほうがええことって、この世には山ほどあるんやで?」
「そんなことは知っている。ただ、ただな……」
「死んでしもても美人や」目をかっと見開き、口をだらしなく開けているエリを見て、楡矢はそう評価した。「ニンゲンの尊厳ってのは永遠や。死んだってそれは変わらへん。それだけは変わらへん。せやから俺は、ニンゲンちゅうもんに、可能性を見てるんやよ」
私は「偉そうな言葉だ」と言い、左手でエリの額をそっと撫でた。
苦笑した。
私は苦笑したのだった。