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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十四.掛け値なしの悲劇
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十四ノ02

 まさか実際にアクションがあるだなんて思っていなかったので、女が連絡を寄越してきたときには多少ならず驚いた。一度会ったときに私がそらで早口で言った電話番号を記憶していたことにも感心させられた。一概には言えないが、頭のいい女なのだろうと感じた。


 家はどこかと訊ねられ、だから正直に答え、結果、近所の喫茶店「キューン」で会うことになった。「こちらから出向いてもかまわんのだぞ?」と告げた次第だが、「申し訳ないので、私が行きます」とのことだった。苦笑を浮かべているであろうことがわかった。奥ゆかしさは電話越しでも十二分に伝わってきた。


 さて、「キューン」である。


 女は私が椅子に腰を下ろしてから、席に座った。ほんとうに慎み深い。どう考えてもあの男にはもったいないような気がした。


 私はなにより先に、「貧乏なんだろう?」と訊いた。女はきょとんとした顔を見せるところころと笑い、「そうなんです」と答えた。


「なんでも奢ってやる。なんでも食べて飲んですればいい」

「ほんとうに、いいんですか?」

「チョコレートパフェなんて、どうだ?」

「じゃあ、それをいただきます。エスプレッソと一緒に」

「妙に渋いな」

「そうですか?」


 女はまた笑い。


 パフェが運ばれてきた。女は「わあ」とまあるい声を出した。細長いスプーンを使って、一口分を掬い、食べる。また「わあ」と言った。笑みの具合。それのなんと微笑ましいことか。


「こんなものでよければ、毎日でも奢ってやる。私はおまえのことを気に入っているからな」


 パフェの合間に、エスプレッソをすすった、女。


「どうして気に入っていただけたのでしょうか?」

「あんなろくでなしの恋人に付き従っているのを、不憫に感じてのことだろうさ」

「文句くらいは、ときどき言うんですよ?」

「だが、聞いてはもらえない?」

「はい」

「やめろ、もう。あんな男に依存するのは。なんなら私が飼ってやる」

「それは、魅力的な条件かもしれませんけれど」

「だから、やめろ。悲しそうに微笑むな」


 パフェ、全部は食べきれません。女はそう言って、やっぱり苦笑を浮かべるのだ。私は寄越せと言い、残りをたいらげた。「ほんとうに頼もしくてたくましい女性なんですね。感動します」と言い――急にぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「なぜだ? どうして泣く?」

「私は……私は、たとえば彼がお弁当を買ってきてくれたことで、それくらいで喜んでしまう女なんです」

「それが悪いこととは言わんが、その程度の幸せが、おまえに見合うものだとは思えない」

「それでも私は、私は彼のことが好きだから……」


 苦々しげに口元をゆがめ、私は「どうしてだ?」と訊いた。「どうしてそこまで想うんだ?」と訊ねた。


「幼馴染みなんです」

「それは理由になっていない」

「自分の立場を境遇を、私は誰かに聞いてほしかったのかなぁ」

「わかった。私に任せろ。おまえに新しい人生を見せてやる」

「だから、そんなこと、できるんですか?」

「できるできないじゃない。やるんだ。正しいリアルを教えてやる」


 あなたはほんとうに素敵な女性ですね。

 そんなふうに言うものだから、なんと心苦しいことか。


「金の心配ならしなくていい。ほんとうに、女一人が増えたところで、私はなにも困らない」

「養うという時点で、損はすると思います」

「だから、そのへんは余裕で乗り越えてやると言っているわけだ」


 立ち上がった、女。身体のラインを露わにする着衣も、くっだらないあの男が望んでのことなのだろうか――きっと、そういうことなのだろう。


 健気な女は私に対して、「ありがとうございました」と言い、ぺこりと頭を下げてみせた。「これでもう、悔いはありません」などと、のたまってみせた。


「そういう言い方はよせ」男のことを憎たらしく思う。「おまえみたいな女が身も心もゆるして、そのうえで失われるなんてことがあってはならない」

「失われるということ。それってなんですか?」

「わからんから訊いている」

「まだまだがんばります。がんばることくらいはできるはずです」


 私は俯き、目を閉じた。


「女」

「はい?」

「私はまだ、おまえの名すら知らない。教えてくれ」

「エリといいます」

「わかった、エリ。なにかあれば、教えてほしい」

「そうします。あなたが連絡先を教えてくれた理由も、そこにあるんだと思います」

「幸運を。私の名は、追って報せよう」

「はい!」


 エリは朗らかな返事をして、「キューン」から去った。


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