十四ノ01
枯山水の庭園が見たくなって、電車を乗り継いで目当ての駅に下り立った。進み、目的を観察し、やはり素晴らしいと感じた。手を入れるのは庭師なのだろうか。それすら定かではないほど知らないので、私はある種の極上ミーハーと言える。
帰りのことだ。座席につくには気を遣いそうなくらいの絶妙な程度の乗客。私は吊革に掴まっていた。出入り口のほうになんとなく目をやった。若い男が若い女の尻を執拗に撫でている。豪放なことだ。ヒトが多くも少なくもない車中で痴漢か。女は声の一つすら上げない。肉づきがイイ感じの尻なので、撫でている男としては、気分も機嫌もサイコーなことだろう。女の弱いところに付け込むような男は総じて断じてむかつく。だから私は男に近づき、尻を撫でている右手を右手で捻り上げた。私はそんじょそこらの男より力が強い。だから男も「いたたたたっ!」と声を上げながら、床に伏した。
男は「なにしやがる!」と吠えた。「その理由すらわからないのか?」と私は至極冷静に対応する。「いいんだよ、これで! これはこれでいいんだよ!」と男はわけのわからないことを述べる。痴漢されていた女性が慌てたように、「そうなんです! これでいいんです!」などと言った。まったく、どういうことなのかちっともわからない。
「お願いします。彼のこと、放してあげてください」
「いいのか? 恐らく日常的にこなしている痴漢魔だぞ?」
「いいんです。ほんとうに、いいんです」
やむなく解放してやった。ただ、このまま引き下がるのはなんだか気が咎めてならない。そこで「次の駅で下りろ。わけを聞かせろ」と凄んでやった。
「うるせーよ。おまえにはなんの関係もないだろうが」
「おい、痴漢ごときが私をおまえ呼ばわりするな。殺すぞ」
「うっ、うぅっ、で、でも、俺は単なる痴漢じゃないんだよ」
「だったらどういう痴漢なんだ?」
「わ、わかった。ちゃんと話すよ」
「最初からそう答えればいいんだ」
――降車し、改札を抜け、近くにあった店に入った、ファミレスだ。
男は「腹減ってるんだ。食べていいか? ミラノ風ドリア」と訊いてきた。安い舌だなとは思ったが、案外、節約家なのかもしれない。男の隣で申し訳なさそうに肩をすぼめている女に、「おまえはなにも食べないのか?」と訊ねると、「私はコーヒーだけでいいです」と答えたのだった。不思議な関係であるようだと感じられた。少なくとも、知り合い同士には見える。そしてだいたい――わかった。
「二人とも、そういう性癖があるんだな?」
女は顔を赤らめ、男は「そんなこと、いちいち訊くなよ」と言い、ドリアを口へと運ぶ。「あちちちち」などと言う。
「言いたいこと、言ってもいいですか?」
「小娘ごときが私になにを見ているのかはわからんが、聞いてやる」
「彼の趣味なんです。なので私は、仕方なく……」
「だから、そういうこと、言うんじゃねーよ!」
男が手を振り上げ、女の頭を叩こうとした。人前だからだろう。すんでのところで手は止まったものの――。
女は怯える様子を見せながらも、「ケンちゃん、ありがとう」と言い、手を止めてもらったことについて謝辞を述べた。私は顔を露骨にゆがめる。女のほうが一方的に依存してしまっているように映る。確かに男はそれなりに見れる顔だ。だが、女の器量だって悪くない。むしろ、かわいらしい。二十代のなかばくらいだろう。逐一、恐縮するような態度を見せても、目には利発さが窺える。
「もういいか? これ食ったら、とんずらこくけど」
「とんずら? おまえには逃げようとする意思があるのか?」
「こ、言葉の綾じゃんか。あんたにはなにも関係ないっての」
とにかく、あまりイイ男だとは言えないようだ。
「じゃあな。立てよ、こののろま」
女にそんなセリフを向けたことで、私の顔はいよいよしかめ面になった。しかし、どうあれ好きな者同士がくっついているわけだ。だったら、口を挟む場面ではないのかもしれない。それでも――なにを期待してのことかはわからないのだが、私は女にそらで電話番号を言った。女は「えっ?」と不思議そうな顔をした。「覚えられないか?」と問うと、「い、いえ、覚えました」と返ってきた。
「なにかどうしようもないことが発生したら、かけてこい。相手になってやるし、対応もしてやる」
戸惑った顔をしたのち、それから女はにこりと笑んで。
「わかりました。でも、お世話にならないようにしたいです」
「なにがどうあっても私がいる。忘れるな」
「ほんとうに、ありがとうございます」
男に付き従うようにして、女は立ち去る。
あたりまえのように、伝票は置き去りだ。
男の漢字は「怒」で、女のそれは「好」だった。