二ノ01
自らの主張を語るにあたり開き直ったり攻撃的だったりする者ほどくだらないニンゲンはいない。自分の考えを声高に謳うことでしか自己を表現できないからだ。そういう人物に限って、殊更に他者の評価や共感を欲しがる。異議や異論を認めず、「つまるところ私は正しいのだ」と言い張ってみせる。愚かなことだ。柔軟性に欠ける。凝り固まった価値観に価値などない。その真理に気づかず、底の浅さばかりを露呈する輩は小学生くらいからやり直したほうがいい――などとどうでもいい思考をめぐらせたきっかけはなんだったか。忘れてしまったので忘れたままにしようと思う。
私は今日も番を兼ねた読書に興じている。茶の間に敷いた紫色の座布団に尻を置き、店内に脚を投げ出している。珍しい。朝から客が来た。若いと思しき男だ。背が高い。短いスタイルは無造作ヘアとでも呼べばいいのだろうか。絶妙な加減でえらが張っており、なかなかの二枚目と言える。
男はまっすぐにレジまでやってきた。本を手に取らないのなら回れ右をしてもらいたいものだが、優しい私は文庫本に目を戻してから「いらっしゃい」くらいは言ってやった。
「怖ろしいくらいの美人さんやなぁ。男はほっとかんやろうし、俺は放っておきたくないなぁ」
私は本のページをさらりとめくる。事実を事実として述べてくれただけなので、興味は生じない。関西弁を操る量産型くらいの感想しか抱かない――一方で、「女を口説くために口から生まれてきたアプライアンス」くらいの印象は抱いた。
「ごちゃごちゃした考えをごちゃごちゃしたままにしといて、他人に対してもその旨を容赦なく遠慮なく吐き出す。せやけど、そこには思いやりがあって、なぜならそれは自分というニンゲンを隠さずに表現してるから。ねぇ、おねえさん、あなたはそういうタイプちゃいますか?」
正解だったので、私は小さく頷いた。じつに軽薄そうな見た目の男ではあるが、馬鹿ではないらしい。本を置いて眼鏡を押し上げ、その目を見てやった。発言からしてにやついているのではないかと思っていた。しかし、涼しい顔をしている。意外性があっていい。案外、おもしろい奴なのかもしれない。
「おねえさんは小説の主人公には向いてへんわ。思考をしこしこ連ねただけの目が滑ってしょうがない作品なんて、誰も読みたくないやろうからな」
真理を述べてくれた。
やはり馬鹿ではないのだろう。
「私の思考についてこられないニンゲンばかりであることは承知している。発言も単なる洪水だしな。だが、自我はあるし、論理は重んじているつもりだ」
「俺もそないな感じやなぁ。自分ではぜんぜん意識してへんのにさ、よく天然やって言われてまうねん」
「自らは未来からの来訪者だと、言い返してやればいい」
「あっ、やっぱり、気が合いそうやわ」
男は満足そうに頷くと腕を組み、ぱちっとウインクしてみせた。なんの意味があるのかわからないが、わからないままでよしとする。話を進めたい。雑談にしかならないだろう。
「名を訊こう」
「先に名乗ってや」
「私は三上鏡花という」
「俺はクワガタ・ニレヤやよぉ」
「漢字は?」
「適当に充てたってくださいな」
桑形楡矢とした。
名前に楡の字は珍しいだろう。
「年齢は?」
「二十七」
「同い年か。どうして訪れた?」
「ふらりと立ち寄っただけ」
「今日は平日だ。職業は?」
「フリーランス。なんでもやるよぉ」
またウインク。浮薄な印象に拍車がかかる。あまり会ったことのないタイプのニンゲンだが、こういう輩は他者からの評価をほとんど気にしない傾向がある。美丈夫であることについても自覚的で、絶対的なその事実についても客観的にしか捉えていないだろう。賢くはないかもしれないが、愚かでもないのだ。
「鏡花さんって呼んでもええ?」
「名などただの識別子だと思うがね。好きなものと嫌いなものを聞かせてもらいたい」
「どっちも多いとだけ答えときまぁす」
「そのやり過ごし方。なるほど。興味深いな」
「がちゃがちゃした考え方するヒトは嫌いやないねん。あけすけな自分語りほど見苦しくてみっともないもんはないと思うけど」
「おまえが小説を書けばいい。私はそれを読むだろう」
「飛躍した会話がなんとも心地ええなぁ」
私は脚を組み替え、それから能力のスイッチをオンにした。次の瞬間、怪訝に思い、眉根を寄せた。見えないのだ、漢字一文字が。吹き出しそのものが発生しない。こんなケースは初めてである。いわゆる運命のヒトなのではないかという考えが浮かぶ。とはいえ、何をくれてやるわけでもない。くれてやろうとも考えない。軽々しさとは無縁でいたいものだ。
「現実は文学を模倣する」楡矢は、にぃと目を細めた。「逆やと思うんやけど、どないやろう」
「面白味のない見解だな」私は舌を打った。「早速、少し幻滅したよ」
「あらら、残念。せやけど、ま、評価は株価みたいなもんやさかい、気にせーへんと言っておこう。ねぇねぇ、おねえさん、文学ってなんやと思う?」
「ガキのわがままを記されたものだ」
「ナイス」
「やかましい」
じっと見つめ合う。
「楡矢、明日の九時にもう一度、来い。手伝ってもらいたいことがある」
「あーれぇ、なんやろ。まあ、お呼びとあれば参上するんやけど」
「長い付き合いになりそうだ」
「同感」
くるりと身を翻した楡矢は、「もうすっかり春やってのに、焼き芋屋が来てんねん。買ってかーえろ」などと言いながら、店を出て行った。サツマイモなんて高価なものは久しく口にしていないなぁと思いつつ、文庫本を手にし、読書に戻る。頭の中ではヴェルディの「レクイエム」が流れている。なにかの示唆だろうか。