表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十三.駅そば屋
49/158

十三ノ02

「スゴいスゴい! メチャクチャおいしかった!」帰りの電車の中、椅子に座ると、カイトはバンザイをした、しかも大げさに。「そばつゆにコロッケって、合うんだな!」

「そうなんだ。不思議だろう?」

「なんで鏡花はコロッケを頼まなかったんだ?」

「私はそばそのものを味わいたいからだ」

「そっちのほうが乙だっていうのか?」

「乙だなんて、カイトは難しい言葉を知っているな。しかし、バンザイは寄せ。目立つぞ? おまえの巨乳も好奇の目に晒されるぞ?」

「はっ!」驚いたような目をして、カイトはしゅんと俯いた。「で、でも、ほんとうにおいしかったんだ。それはほんとうのことなんだ……っ」

「そう言ってもらえると、連れてきてやった甲斐もあるというものだ」


 で、でもと、カイトはまたどもった。


「どうして駅のホームなんだ? そば屋なんて、他にもたくさんあると思うんだけど……」

「あの店がここいらでは一番、うまい。電車賃と合わせても、十分に許容範囲というわけだ」

「僕、また来たいよ。また連れてきてくれよ。だけど、疑問はもう一つあって」

「それはなんだ?」

「だから、鏡花はどうして僕を連れて歩いてくれたんだって話だよ」

「きまぐれだ」

「それだけなのか?」

「たまにはかわいがってやろうと思ってな。また来たいと言ったな?」

「う、うん」

「駅そば屋はいつだってやっている。なにせ、駅そば屋だからな」

「じゃあ、ぜひともまた来たい!」

「だったら、連れてきてやろう。ただし、条件がある」

「そ、それってなんだ?」


 私は「いいから、ウチに来い」と告げた。「そ、そんなのでいいのか?」とカイトは言ったわけだが――。


 ――カイトを茶の間に連れ込んで――そう連れ込んで、私は彼女の身体の"開発"に取り組んだ。「や、やだぁ……っ」とか、「いやだぁ、やめろぉぉ……」とか弱々しくも色っぽい声を発するカイトに、筆舌に尽くせないくらいの卑猥な真似をした。カイトの漢字は「悦」だったので、いやいやをしながらも、そのじつ、「悦」んでいたのだろう。千鶴に続き、私の快楽を満たすお相手が一人増えたというわけだ。なんとも喜ばしい。


 次の日――。カイトときたら、白いノースリーブのシャツを着ている。「えへへ」と頭を掻く。「えへへへへ」と頭を掻く。もしや前日の"行為"によって、いよいよ新たな道に目覚めてしまったのだろうか。それはいろいろと良くないのではないかと思い、私は「肌を露出しすぎるのは褒められないな」と注意した。「だ、大丈夫だ」とカイトは答え、「こんな恰好、その……鏡花の前でしかしないから」とまた答え。とにもかくにも性なる概念に興味を示しつつあるようだ。それはそれで朗報なのかもしれない。


 電車の中――。


「うきうきするよ。またコロッケそばが食べられるんだって思うと、ドキドキする」

「おまえは簡単な女だな。ああ、まったく、安い舌だ」

「そ、そう言うなよ。来る数は? 頻度は高いのか?」

「昼食には結構、食べている」

「まあ、安いしな」

「カイト、おまえ、私が著しく貧乏だと思っているだろう?」

「えっ、違うのか?」

「違わん」私はため息をつきつつ、肩を落とした。「ただ、裕福さが尊いことだとは思わん」

「それは、そうかもな。僕の家は裕福だけど、だからって幸せばかりじゃないもんな」

「おまえ、ナチュラルに私のことを馬鹿にしたな?」

「そそ、そんなことないよ」

「わかっている。冗談だ」


 ――「おばちゃん、また来たよーっ」くらい、明るく朗らかに言えたらいいのだが、カイトは私の背に隠れたりする。そのへんの奥ゆかしさが、かわいかったりもするのだが。


 私が「今日は卵を落としてもらいたい」と言うと、おばちゃんは目を大きくして、「あら、珍しいねぇ」と言った。「そっちのお嬢ちゃんは? 昨日と同じでいいのかい?」と訊ねた。


 カイトは自分を覚えてくれていたことに感動したらしい。感涙するような勢いで、「コロッケそばが食べたいですっ」と絞り出した。女として扱ってもらえたことも嬉しいのだろう。あははははと豪快に笑ったおばちゃんである。


 しかし、なぜだろう、その大笑いは、やがてしぼみ……。そのうち、涙を流しながら、そばをこしらえだした。


「お、おばちゃん、どうしたんだ?」カイトもびっくりしたようだ。「なな、なにかあったのか?」


 おばちゃんはカイトに目をやると、それから私に視線をくれた。


「今日で仕事はおしまいなんだ」

「えっ」カイトはとにかく驚いたみたいだ。「おいしいのにダメなのか? もしそうだとしたら、なにがダメなんだ?」


 すると、おばちゃんは眉をハの字にして笑み。


「私がじゃない。旦那が、店じまいなんだ」


 カイトはわけがわからないといった具合に、目を白黒させる。


「おばちゃん、どういうことなんだ? 僕は、僕はなにも知らないけれど、おばちゃんの力にはなりたいよ」まったく、いいことを言う。「旦那って旦那さまのことだろ? だったら、それが店じまいって……?」

「ここは五番ホームで六番ホームだ」

「う、うん。それくらいはわかるよ。それがなんだっていうんだ?」

「ウチの旦那は一番ホームと二番ホームのあいだで、そばを作ってるんだ」


 うんうんと頷き――カイトはすべてを察したようだ。

 もともと、頭の悪いガキでもないのだ。


「旦那さんと一緒にそばを作ってたんだな。感動するし、それってスゴくいいことだと思うんだ」

「お嬢ちゃんに慰められるとはねぇ」おばちゃんは語る。「旦那はなにを悲しんでいるのか、教えてやろうか?」

「うん。聞きたい。おばちゃんが言うことだったら、知りたい」

「旦那はそば屋をするのが好きなんだ」

「それはわかるよ? その先が知りたいんだ」


 客観的に訊ねていい、これは興味深い――否、深くまで知りたい話だと考えた。


「おばちゃん」

「なんだい、美人さん?」

「私は美人だが、それはさておき、興味を持てる事象が発生した」

「それはなんだい?」

「旦那に会わせてくれ。事の次第をきっちり聞きたい」


 おばちゃんはぐすぐすと泣き出した。


「ごめんね? お嬢さん方。今日はおばちゃん、そばを作れないよ……」

「とっとと店じまいをしてしまえ。ときには業務を放り出すのも悪くない」

「そこまで言ってくれるなら、案内してやるさね」


 おばちゃんはすべての火を切り、ふぅと息をつく。精神的に疲れているのだろう。そんな吐息だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ