十一ノ02
茶の間でちゃぶ台に麦茶を置いてやると、少女はぐびぐびがぶがぶと気持ちよく飲んだ。力強く飲んだとも言える。よほど喉が渇いていたのだろう。
「オレンジジュースのほうが良かったか?」
「私、麦茶のほうが好きーっ」
少女の笑顔とは、くったくがなく、著しくかわいいものだ。
反則技とも言える。
「おまえ、名前はなんていうんだ?」
「サキです」
「サキはどうして家を飛び出してきたんだ? そうなんだろう?」
「うん……」
「金はどうした?」
「お年玉……」
「なるほどな」
私が感心およびその利発さに納得すると、少女――サキは立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。艶やかな髪がさらりと垂れた。
「おねえさん、お願いです。私をここに置いてください」
「ダメだ――と言われることくらい、わかっているんだろう?」
サキは表情を曇らせ、悲しそうな顔をして。
「でも私、どこかべつのところで暮らさないと……」
「暮らさないと?」
「きっと、死んじゃうの……」
私は眉をひそめた。それからふと思いつき、サキに「こっちに来い」と言った。サキは「やだぁ、やだぁ」と逃げようとしたが、私は追いかけ、腕を掴んだ。胸や腹部に触れてやる。「痛い……っ」と、サキはうめくような声を上げたのだった。
「サキ、悪いな。少しだけ、恥ずかしい思いをしてくれ」
「……うん。わかった」
サキがまとうワンピースを裾から一気にたくし上げた。すると、腹部や胸のあちこちに青いあざがあって……。
間違いない。
虐待だ。
「そうか。たいへんだったな」としか言えない私は、やはり無情なのかもしれない。「痛いだろう?」
「痛いから、ときどき泣くの……」ワンピースを元に戻してやると、サキはめそめそと泣き出して。「痛いの。痛いの痛いの痛いの。でも私はパパとママのムスメだから、きっと我慢するしかないの」
私は「それは違うぞ」と強く否定した。「おまえみたいな小さな奴、そんな存在に向ける力。その醜い力を、ヒトは暴力というんだ」と続けて言った。
「もうわかって、もらえましたか……?」
「ああ、そうだな。いまの親より、私が面倒をみてやったほうがよさそうだ」
「だったら――」
「最大限、努力してやる。おまえはなにも心配しなくていい」
座っている私に、サキはばふっと抱きついてきて。
抱きついてきて、えーんえーんと泣いて。
私は一転、ぼんやりと、「子どもを育てるというのは、そんなに難しいことなのかなぁ」と述べた。するとサキは「きっとそうなんだと思い、ます……」と、たどたどしい敬語で口を利き。
サキのことを抱き上げてやる。私は力強い女なので、それくらいわけないのだが、「おねえちゃん、スゴいね! おとうさんでも抱っこはたいへんそうなのに!」
そうか。サキにも父親に抱っこしてもらった記憶はあるのか……。そう考えると、悲しみがいっそう増した。やり切れない思いも、強いものになった。
「サキはほんとうに、ここにずっといたいのか?」
「いたい、です」
「だが、おまえは私がどんなニンゲンだか知るまい?」
「悪いヒトじゃないもん。私を抱っこしてくれるんだもん」
それくらいでイイヒト認定されても困るというものだが。
抱っこしたまま、狭い階段を上る。和室に布団を敷いてやった。着替えについては、白いTシャツを貸してやった。そのうえで、布団の上に寝かせてやった。寝転んでも、時折、「痛いよぅ、痛いよぅ」と、のたまうのだ。
簡単には、この少女を手放さない。
私はそう、決めたのだった。