十ノ05
ダイニングテーブル。私はおっさんと並び、正面には女房と娘が座った。紅茶が出された。背伸び感、とでも表現したらいいのだろうか。無理をして高い茶を振る舞ってくれているように感じられるのだ。ありがたい話ではあるものの、身の丈に見合った生活を送るべきであるように思う。
断ってから、紅茶をすする。香り高く、立派にうまい。
「ほんとうに探偵なんですか?」娘の口振りには明確な険がある。「あなたみたいな美人がそうだなんて、信じられないんですけれど?」
「お褒めいただき恐縮ですが、容姿に優れていることと職業にはなんの関連もありませんよ」
「でも、やっぱりクソオヤジ――おとうさんの仕事を受けるようなヒトには見えません」
クソオヤジをおとうさんと呼び直すあたり、まだ望みはあるのだろうか――。
「実の父親をクソオヤジ呼ばわりする。感心しませんね」
「なんでそんなこと言われなくちゃならないんですかぁ」娘は放り投げるように言い、「あなたは他人じゃないですかぁ」と口を尖らせた。
「他人だからこそ、わかることもあります」経験則だ。「まずは話をしませんか? 奥さまにとっても娘さんにとっても、そうしたほうが有意義だと考えます」
「変質者のなにを信用しろと?」女房は顔をゆがめた。「そのへん、探偵さんはどうお考えになるんですか?」
「別れるべきだとは思いますし、別れてもいいと思います」
するとおっさんは素早く私のほうを見て。
ぱくぱくと口を動かして。
「私の性格上、綺麗事を述べるつもりはありません」
「だったら――」
「それでも奥さん、愛し合って結婚されたんでしょう?」
「そ、それは……」
娘が「おかあさん、負けちゃダメだよ!」と声を張った。「相手はヘンタイなんだから! どう考えたって、変質者なんだから!」
私は「あなたは高校生?」と娘に訊いた。年格好がそうだし、ちょうどそのくらいだろうと感じられたからだ。利発そうな目をしていて――正直、父親に似ている。
娘は目にじわりと涙を……。
倣うように女房も……。
「私もそうです。娘もそうです。私たちがどれだけ恥をかいたか、かいているか、わかりますか? 軽蔑です。侮蔑です。別れたうえで、やり直すしかないじゃありませんか」
正しい。
女房の言い分は途方もなく正しい。
だが――。
「あなたも娘さんもおきれいです。新しい家庭を持とうと考えるなら、それはさほど難しくはないようなことに思えます」
「しばしば夜になったら出て行くこと……すぐに気づくべきでした。だって、おかしなことをしているに決まっているんですから。近所でも痴漢騒ぎは続いていたんですから」
「私は探偵ではありません」
「えっ」
「旦那さんは今日、ここからそれなりに離れた街で強盗に入ったんです」
女房はびっくりしたような顔ののち、おっさんのことを睨みつけた。私は「ほんとうに投げやりになったんですよ。ふらりと立ち寄った街で犯行に及んだくらいです。絶望していたんでしょう」とフォローした。
「いよいよ救いようがないじゃありませんか。でも、どうしてあなたがそんなことを? どうして手を差し伸べようと?」
「現場は喫茶店だったんですが、私は偶然、そこに居合わせたんです。はっきり言っておきます。未遂で済みました。そして事情を聞きました。力になれるかもしれない。そう考え、申し上げた次第です」
「どうして、力になろうと……?」
「さあ。どうしてでしょうね。そのへん、自分でもよくわからないんですよ」
正直に話し、実際、そこに嘘はないと悟ったのだろうか、女房は睨みつける目をやめ、吐息をつき、残念そうな顔をした。
「でも、どうしても、やり直すことはできません。それは、わかっていただけますよね?」
「であれば、どうしようと?」
「本格的に働きに出ようと思っています。住まいについては、アパートを探します」
「そうですか」
私はもはや、かける言葉を持たない。左隣を見ると、おっさんは涙を流していた。
「ほんとうに、すまなかった。すまなかった……」
「もっと早くに気づけばよかったじゃない!」私の正面に座っている娘が立ち上がり――娘もまた、あからさまな涙をこぼす。「無理! 絶対に無理! わかってよ、それくらい!」
「私はとんでもないことをしてしまったんだなぁ」
「そうだよ。私たちが引っ越すまではこの家、貸してよね。そのあいだはアパートでも借りて。そのあと、おとうさんは一人でここに住めばいい。もう最低っ。泣きたくなんてないのにっ!!」
「……すまん」
私たちは辞去し、家をあとにした。
――駅の近辺まで戻り、チェーン店のカフェに入った。おっさんは奢ると言ってくれたが、自分の分は自分で払うと告げた。
「やはり無理だったか。当然といえば当然だが、こうなるとは思っていたんだよ」
「ですよね」おっさんはすっかり割り切ったようなすっきりとした顔をしている。「やったことがやったことですから、妻と娘に与えてしまったダメージは、計り知れないものだと思います」
「諦めは肝心だ。だが、おまえにだって、第二の人生が待っているかもしれんぞ?」
「禿げ頭なのにですか?」おっさんは苦笑のような表情を浮かべた。「禿げているのにですか?」と、もう一回、言った。
「禿げ頭でモテん奴は、髪があってもモテないものだ」
「そうでしょうか?」
「そういうことだ」と答え、私は「さて、これからどうする?」と訊ねた。
「荷物だけ持って、妻と娘が出て行くまではウィークリーマンションで暮らそうと思います」
「悲しい一人暮らしだな」
おっさんはいきなり立ち上がり、大きな声で「ありがとうございました!」と言い、深々と頭を下げた。その潔い様子を見て、私は彼の分も払ってやろうと決め、伝票を持って立ち去る。
阿呆な事案に出くわしたわけだ。
おっさんからすれば、まさに自分でまいた種、まさに自業自得。
おっさんに幸あれとは、決して思わなかった。