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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
十.強盗未遂のハゲオヤジ
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十ノ04

 おっさんの家は、ニュータウンに無理やり再開発という言葉をくっ付けたような、表向きは明るいながらも、そのじつ古さを感じさせる街にあった。車窓から眺めても、そうとしか感じられない雰囲気だったのだ。


 目当ての駅で降車すると、私は「待て」と発した。「どうかしましたか?」とおっさんが問いかけてくる。私の喉はその匂いの良さにごくりと鳴る。立ち食いそば屋だ。


「奢れ」

「えっ?」

「そばを奢れ。私は今、猛烈に食べたい」

「そ、それより早く、家に――」

「言うことを聞かんうちは、言うことを聞かん」


 のっしのっしと歩いて、私はそば屋の前に立った。「らっしゃい!」という声。たかが駅そば屋なのに威勢がいい。気に入ったのである。


「かけそばでいい」

「あいよっ」


 一分、二分で、そばが出てきた。

 おっさんは食欲がないのか、後ろで見守っている。


 そば屋の主人が、片手で卵を割り、そばに入れてくれた。


「おねえさん、きれいだからサービスだ。おっぱいもおっきいしな」


 私の胸の大きさは、しばしばこうして役に立つ。


 ――食事を終え、徒歩でおっさんの家に向かう。ニ十分ほどかかるらしい。「タクシーくらい、大丈夫ですよ?」と言われたのだが、嫌いな街並みではない。だから、「いや、いい。歩こう」と伝えた次第だ。


 結構、道の起伏が激しい。上ったり下ったり。バスに乗ればそれなりに快適なのかもしれないが、家計の兼ね合いから、そのへん、控える会社勤めのニンゲンは少なくなのではないか。


 道中、おっさんが「夢を抱いて、家を買ったんです」と苦笑のような表情を浮かべた。「ええ。都心からは遠いんですけれど、一軒家が欲しかったんです」

「それは結構」と私は言った。「夢はどうあれ、おまえが変質者だったらどうしようもないがな」

「そこを突かれると痛いなぁ」おっさんはもう開き直ったようだ。「でも、それは事実です。そもそも捕まる運命だったんです」

「おまえは馬鹿だ」

「反省しています」

「古びた名言を贈ろう」

「なんですか?」

「反省だけなら、猿でもできる」


 そのうち、おっさんの家についた。胸の谷間にじわりと汗が浮かんでいる。こういうとき、私の胸の大きさは、しばしばうっとうしい。


 夕暮れ時だ。

 確かに女房も娘もいるのではないか。


 おっさんがインターホンを鳴らしたので、私は眉根を寄せた。


「おい、待て。おまえの家だろうが」

「それでも、こうするように言われていて」


 私はがっくりと肩を落とし、ため息をついた。


「悲しいなぁ」

「私がまいた種ですから」


 いまさらカッコいいことを述べたところで、ポイントは回復したりしないのだが。


 アプローチを歩き、玄関の戸へと至った。がちゃりという音。解錠されたらしい。おっさんは申し訳なさそうに(こうべ)を垂れて、私はその隣でしずしずと頭を下げた。私は偉い――実際はかなり偉い。


「あら、あなた、きれいなヒトね。もう私の代わりを見つけたの?」


 頭が痛くなる第一声だ。

 どうやらほんとうに、このぼんくらなおっさんは嫌われているらしい。


「ち、違うんだ。このヒトは探偵さんで――」


 阿呆な受け答えだ。事実、女房であろう人物は、「探偵……?」と訝り警戒する様子を見せた。「探偵がなんの用なの?」と身構えたのだ。


 私は気持ちを切り替える。丁寧なお辞儀など他愛もない。むかし、営業の第一線で培ったスキルを舐めるなという話だ。


「旦那さまから依頼をいただきました。もう一度、やり直したいのだと」


 女房の眉間に深い皺が寄る。


「嫌です。お断りします。というより、そんなの、探偵さんのお仕事なんですか?」

「それに見合う報酬が得られれば、できるだけのことはします」


 女房はふんと鼻を鳴らした。


「どうにもならないと思いますけれど?」

「娘さんは?」

「えっ」

「娘さんはいらっしゃるのかと伺いました」

「いますけど……」

「私を交えて、四人で建設的な話をして、どう転ぶかはわかりませんが、決着はきちんとつけましょう」


 さんざん睨みつけてきたのち、女房は諦観したように吐息をついた。


「わかりました。おあがりください」

「恐れ入ります」


 おっさんはもう、瞳に涙を浮かべていた。


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