十ノ03
「話を進めろ。速やかに、だ」
「じつは、その、私は、その……」
「無駄な前置きはするな。私はせっかちなんだよ」
おっさんは「では、あの……」と言うと、ある意味、照れくささ、恥ずかしさを押し殺すようにして、目をぎゅっと閉じた。次に出てきたセリフは「私は変質者なんです」という言葉だった。
「ほぅ。変質者」
「お、驚かれないんですか?」
「いや、だって、そんな顔をしているからな」
「ひ、ひどいです、それは……」
おっさんは鼻をすすった。いい年こいたおっさんにあるまじき態度である。――が、おっさんが変質者だとわかったところで、その事実と強盗という行為はひもづかない。すなわち、そこにははっきりとした理由があるはずなのだ。その旨、訊ねてみた。するとおっさんは、またぎゅっと目をつむり。
「変質者として、一度、逮捕されてしまったんです」
「ほぅ。逮捕」
「や、やっぱり驚かれないんですね」
「逮捕されて、どうなった?」
「妻には離婚届を突きつけられ、娘には無言で唾を吐きつけられました」
「コートの中身は全裸とか、そういう話だな?」
「はい。一応、初犯です。それまでは運悪く見つかっても逃げ切れました。でも、四十台になって、体力の低下をひしひしと感じて……。その矢先の出来事でした」
「だったらやめておけばよかったんだ――と言いたくなるが、そういうわけにもいかなかったんだろうな」
「そうなんです。会社では若い上司に軽んじられ、家に帰れば安月給だとののしられ……。変質者的な行いは、唯一のストレス解消の手段なんです」
それなりに真剣に話を聞いてやっている私は腕を組み、「で、結局のところ、どうなりたいんだ?」と問うた。「本気で警察の世話になりたいわけではあるまい?」と続けた。おっさんは押し黙り、出てきた言葉は「ほんとうに、私はどうしたいんでしょうね……」だった。頭を抱えた。苦悩するのはわかるし、逮捕されてもいいという投げやりさも理解できなくはないが、そうであっても、阿保らしい事案には違いない。
私は右手を上げた。するとしばらく経ってから、マスターがおかわりのマンダリンを持ってきてくれた。それなりにツーカーなので、できるだけ口を閉ざしておきたい私としては助かっている。新しいマンダリンに口をつける。うまい。
話を進めようと考える。
「おまえのイチモツは自慢できるようなものなのか?」
「えっ!?」
「自慢できるようなものなのかと訊いた」
「そそ、それはっ!
「どうなんだ?」
「小さい、です」
「どれくらい小さいんだ」
「唐辛子くらい、です……」
その表現がおもしろすぎて、私はまたマンダリンを吹き出した。おっさんの顔面へと飛んだ。「あちちちちっ」とおっさんは取り乱した。おしぼりを使って顔を拭う。怒らないあたりは、根本的にはヒトがいいからなのだろう。
私もおしぼりで口元を拭った。
「おまえが悪くない奴だというのは伝わってきた。正直なのは美徳とも言える」
「でも、でも、私はもう……」またしくしくと泣き出したおっさんである。「私は欲に負けて、妻と娘を裏切ってしまったんです。もう、もう、元通りにはならないんです」
「いまでも娘はかわいいのか?」
「それは間違いありません。むかし行った動物園、遊園地……思い出は忘れられません」
「しかし、それらすべてを失ってもおかしくないくらいの変態的行為だからなあ」
おっさんはぽろぽろと涙を流す。ほんとうに情けない話だ。失くすのが嫌なら相応の対応をすべきだということがわからないのだろうか。――わかってはいるのだろう。要するに、やはり欲に負けてしまったということなのだ。
「まだ、一緒に暮らしてはいるんだな?」
「えっ?」
「女房からは三下り半を叩きつけられ、愛娘にはこのうえなく軽蔑されていても、ともに生活したいと考えているんだな?」
「それは、そうですけれど……」
私は一度頷き、それから「どうだ? 私に仕事を依頼してみないか?」と訊ねた。
「仕事、ですか?」
「ああ。おまえの家族と話してみようと言っている。じつは私は探偵なんだ」もちろん、嘘である。「元に戻れることは保証できないが、いまよりいいほうにはディレクションできるかもしれん」
顔をぱっと明るくした、おっさんである。よくよく見れば探偵の容姿でも物腰でもないはずなのだが――その点については少し考えればわかりそうなものなのだが、おっさんは飛びつくようにして、「お願いします、お願いしますっ!」とぺこぺこ頭を下げてきた。
「うまく事が運ぶとは限らんぞ?」
「それでもいいです。なにもしないよりはマシです」
「わかった。ただし、仮にだ、仮に、おまえを元いた場所に戻すことができたのであれば、おまえの資産の、そうだな、半分を徴収させてもらおう」
「えっ、そんなに?」
「嫌なら他のニンゲンを頼ればいい。たとえば、弁護士とかな」
「弁護士はダメだと思います。これは私自身の問題なのですが、形式的な話にしかならないと考えるからです」
その認識は正しい。私はそう同意した。
「むしろ弁護士が介入したら、別れる方向での対話が加速することだろうな。だからといって、もう一度言う。こういった事柄について、私の存在は万能ではないかもしれん」
「それでもいいです!」
お願いします、お願いします!
やはりそんなふうに、おっさんは頭を下げてくるのである。
「わかった。それじゃあ、まずは会わせてもらおう。連れていけ」
「えっ、いまから、ですか?」
「女房はパートでも?」
「しています」
「娘は?」
「まだ学校のはずです」
「だったら、頃合いを見計らって、連れてゆけ」
おっさんは「わかりました」と言うと、右の前腕で目元を拭いつつ、いよいよおいおい泣き出した。
「藁にも縋る思いだったんです。私は誰かに助けてほしかったんです。強盗なんて、本意じゃないんです」
「言い訳は好かん。どうあれおまえは事を起こそうとしたんだ。未遂で済んだのも奇跡に近い。運があることだって間違いない。おまえの話を聞いていると、片方からしか聞こえてこないイヤホンを使用しているように気持ちが悪くなるんだ」
「ど、独特な表現をされますね」
おっさんは場違いにもにこりと笑った。
変質者ではあるものの、悪くない笑顔だ。
漢字を見る。
「助」が浮かんでいる。
「助」かったということなのだろう。
まだ「助」けたわけではないのだが。