九ノ02
一応常備してある来客用の布団を二階から持って下り、それを一階の和室――茶の間に敷いてやり、男を転がしてやった。転がる際にもふらつき、ばたんと布団に倒れ込んだったのだった。
「起きて麦茶は飲めるか?」
「はい。いただきたいです」
やはり顔は真っ青だ。
冷蔵庫から取り出した麦茶をビール用の細長いコップに注いでやり、持っていくと、男はつらそうに上半身を起こした。しかし、ごくごくと飲み干す様は力強かった。よほど水分を欲していたのだろう。
男はコップを返してくると、また布団に勢い良く横になった。勢い良く横にならざるをえなかったのだろう。私は慎ましやかな流し台でコップを洗い上げてから、いよいよ布団の脇であぐらをかいた。
「ああ、情けない。情けないなぁ……」
「連れてきてやったうえに、茶まで振る舞ってやったんだ。その情けない理由とやらを聞かせてもらいところだな」
「僕、心を病んでいるんです」
「ほぅ。そんなふうには見えんが?」
「実際、そうなのかもしれません」青年は苦笑のような笑みを浮かべた。「ヒトの精神状態なんて、ほんとうのところは、誰にも見えませんからね」
「そのことと今回倒れたことに、関連性はあるのか?」
すると青年は「あるのかもしれないし、ないのかもしれないなぁ」と、めんどくさいことを述べてくれた。
「わかった。話してみろ。くり返しになるが、聞いてやる」
「ほんとうですか?」と言うと、青年は申し訳なさそうに表情を曇らせ。「ああ、しんどいなぁ。横になっていても、しんどいなぁ」と述べ。
「そんなことを言ったところで、添い寝なんかしてやらんぞ」
「薬を飲みすぎたんです。一週間分を一気に飲んでしまったんです」
眉をひそめた、私。
「強い薬なのか?」
「それなりに」
「まあ、そうか。立っていられなくなるくらいなんだからな」
「どうしてそんなことをしたのか、わかりますか?」
「わからんな」
「死にたいからです」
とてつもなくめんどくさい話になってきた。
「両親が心配するとか言っていたな。そういうことなんじゃないのか?」
「それはそのとおりです。僕は親にスゴく心配をかけています」
「だったら、心配をかけないようにすればいい」
「どうにも難しくって」
青年は眉を八の字にした。
「そんな状況に陥るのには、なにか理由があるのか?」
「僕、高専卒なんです。IT系の会社に入ったんですけれど、営業だったんです。どうしてエンジニアにならなかったのかという話なんですけれど、お客様と触れ合う機会のほうがどうしたって重要に思えて……」
過去のことなら「お客様」と呼ぶ必要性はないだろうに。
そこに生真面目さとうざったさを感じた。
「業務がうまくいかなかったのか?」
「そういうわけでもないんです。ただ、ちょっとしたミスや仕事の遅さで、先輩に叩かれたり蹴られたりしました。その先輩はとても身体が大きくて、ラオウとまで呼ばれる怖いヒトで……」
「ラオウは知らんが、たったそれだけのことでリタイアしたのなら、おまえはそれまでのニンゲンだったんだろう」
「やっぱり、そうなのかなぁ」
「ああ。容赦なく、そういうことだ」
男は目に涙を浮かべ。
両の掛布団で顔の半分を隠すと瞳から涙を流し。
「とにかく、僕はダメになったんです。ダメになってしまいました。だったら僕はどうしたらいいんですか!!」
いきなりキレられたので、腹立たしさを覚えて、頭をバシッとぶってやった。
「私に言うな。おまえの人生が私に影響を及ぼすことはないし、その逆もまたしかりだ」
「……ごめんなさい」男はしょんぼりとした。「ほんとうにごめんなさい……」
「そもそもの疑問がある。どうしてそんなふらふらの状態で、外に出てきたんだ?」
「そうすれば、誰かに助けてもらえるかなって思って……」
「とんだ甘ったれだ。吐き気を覚える」
「ごめんなさい……」
「謝るばかりなら、とっとと回復して、とっとと帰れ」
「そうしたいのは、やまやまなんですけれど」
「キツいのはわかっている」
「相談に乗っていただいても、いいですか?」
私はがしがしと後頭部を掻いた。仕方なく「言ってみろ」と答えた。私は最近、大らかになりつつあるのかもしれない。非常にうっとうしい感覚だ。