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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
八.北風と太陽
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八ノ02

 千鶴が訪ねてきた。土曜日なので学校は休み、よって私服である。タイトな白いTシャツに黒いミニスカート。その道に造詣が深い好き者にはウケそうだが、胸がぺちゃんこだから色気がない。私は乳房の大きさうんぬんで女を判断する傾向があるようだ。持つ者と持たざる者を区別しているきらいがあるのである。べつに悪いことだとは思っていない。私の趣味嗜好はいつだって自由で奔放だ。


 茶の間に上げてやって、ほうじ茶を出してやった。茶くらいで「わぁ」とまあるい声を出し、感動した様子だったので、今日はお茶請けも出してやった。近所の和菓子屋の羊羹である。うまいはうまいのだが、なにせ人通りとは無縁の商店街なので、いつ畳んでもおかしくないだろうと危惧している。


 千鶴は羊羹を一口で食べた。物凄く幸せそうににこにこと咀嚼し終えると、実際に「幸せな時間が体験できたのです」と大げさなことを言った。まあ、そこまで喜んでもらえたのなら、出してやった甲斐があるというものだ。


「ところで鏡花さん、本は読んでいただけましたか?」

「読んだよ。『エナメルを塗ったなんたら』、まあまあだった」

「おぉーっ、稀に見る高評価!」千鶴は勢い良く声を弾ませた。「刺さっているではありませんか! タイトルだけとはいえ、鏡花さんの記憶に残るだなんて、相当なことですよ!!」


 千鶴ごとき女子高生が、私のなにを知った気になっているのか。だが、言っていることは事実である。私自身、私の海馬を酷評したいくらいなのだから。


「当該はテンプレのようで、斬新だった。私に入り込んできたのは、文章が特徴的で、また作品自体に流れる空気が前衛的だったからだろう。作家がコアな人物であろうことにも好感が持てた。じつはがんばれとエールを送りたい」

「ほんとうに大絶賛ではありませんか」

「そんなことはない。百点満点だとしたら、五十点そこそこなんだからな」

「鏡花さんの採点は厳しいのです」

「甘さとは無縁でいたいものだ」


 他になにか話題はありませんか? 茶をすすってから、千鶴がそう言った。まったく、勘弁してもらいたい。来るほうがなにか携えてこいという話だ。阿呆か馬鹿なのか? 考え直し、改善してもらいたい。面倒なので、いちいち口にしたりはしないのだが。


 私は左の頬に左の人差し指を当て、「そういえば」と切り出した。「やったやった、やったのです。なんでも切り出してくださいなのです」と千鶴は手放しにといった感じで喜んでみせる。


「昨日、ジブリを観たんだ。豚が主人公で、豚が飛行機乗りなんだ」

「それくらい知っていますよぅ」と口、千鶴。「で、その豚さんがどうかしましたか?」

「とても有名なセリフ、一節がある。その点について、私はネットで調べ直したんだよ」


 千鶴は、「ああ、わかりますですよ。『飛べねぇ豚はただの豚だ』」ってやつですね?」と無垢で純粋な言葉を吐いた。


「そこがすでに間違っているんだよ。『飛べねぇ』じゃなくて、『飛ばねぇ』なんだ」

「えっ、そうなのですか?」

「そうなんだよ」

「だけど、違いなんてなくないですか? 結局、同じことを言っているように聞こえるのですけれど」


 馬鹿か、おまえは。私はそう指摘し、それから「おまえは私より本を読んでいるんだから、日本語にも詳しいものだと思っていた。最低だ。最悪だ。残念だ。軽蔑する」と告げた。


 千鶴は「ううぅ……」と呻くような声を出し、「なにが違うか、見当がつかないのです。できれば教えていただけませんか?」


 ご高説をくれてやるわけではないが、説明くらいはしてやろうと思う。


「『飛べねぇ』のほうは、可能性の問題を示唆している。飛べる飛べないを語っているに過ぎない。『飛ばねぇ』は違う。飛ぼうとしない豚はただの豚だと謳っているんだ」

「あっ、そういうことか」

「やろうとしない者にはなにももたらせられないという教訓だ。前向きで素晴らしい考え方だと、私は思っている」

「ほんとうに、一文字違うだけで、まるっきり意味は変わってくるんですね」

「豚が飛ぼうとする話は尊い。そこには希望と夢がある。製作したニンゲンの頭の良さが窺えるというものだ」


 千鶴が「明日、友だちに教えてあげよーっと」などと言った。「自慢もしちゃおうっと」と続けた。


「やめておけ。むかしの映画だ。知っているニンゲンのほうが少ないだろう」

「でも、こういう話って、誰かに話したくなりませんか?」

「ならんな」

「ぶぅ」と頬を吹く膨らませた、千鶴。「ぶぅ」と、もう一度。かわいいのだと思っているのであれば、大きな勘違いだ。私は殺意すら覚える。


「ところで鏡花さん、これから一緒に外に出ませんか?」

「見てのとおり、私は店番中なんだが?」

「お客さんなんて、来ないではありませんか」


 まったく、痛いところを――いや、まったく痛くはないのだが、適切な意見である。


「まあ、実際、売れんしな。いいだろう。付き合ってやる」

「わあ。やったやった! やったのです!!」

「で、どこに行くんだ?」

「決めていません。ジプシーのごとく自由に進むのです」


 付き合ってやると言ってしまったのだから、付き合わないわけにはいかない。


「鏡花さんと歩くと私も目立つから、好ましいのです」


 にこっと笑った千鶴。いかにも俗っぽい発言だ。ろくな大人になるとも思えないので、抜本的な手を打つ――もしくは徹底的に折檻してやる――あるいは中指を使って卑猥な戒めを与える必要があるだろう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 重版童貞で「もしや?」と思ってましたが、佐藤友哉ですね! メフィスト作家やー٩(๑´0`๑)۶ ただし、私は未読です●~* 積読本の中に眠っています(´・ω・`)
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