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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
七.ほんとうの悲しみを知るにあたり
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七ノ02

 リミットとした一週間後に、学ラン姿の小さな人物は現れた。待っていました――とまでは当然思わないし言わないが、少年に惚れ込んでいるに近い感情を抱き、だからこそ当該ガキの笑んだ様子を見ると、不思議と心が落ち着いた。私自身、私自身について、ロリコンの()などないと解釈しているのだが――案外、そんなこともないのだろうか。


 店を閉めた。今日の漢字も「悲」。なにが悲しいのだろう。世界に絶望でもしているのであれば、それはそれでスマートでスケールの大きいニンゲンだと判断する。――が、静かな態度からはそんなふうには窺えない。女性としては大柄な私だが、そんな私と比べてもずいぶんと小柄。その分、かわいらしく、また健気にも映るのだが。


 茶の間へと招き入れ、ちゃぶ台の前に促し、出涸らしではない、シャキッとした緑茶を淹れてやった。少年は「いただきます」を言ってからすすった。大仰なことだ。茶を飲むにあたって手を合わせるニンゲンは多くないだろう。


「きちんと待ってくださっている。そんなふうに思ったので、今日、ここに来ることができて、幸せです」

「所作だけではなく、発する言葉まで大げさなんだな」

「僕にそのつもりはないんですけれど」少年は苦笑のような、それでいて少年らしい表情を浮かべた。「ああ、ほんとうに嬉しいなぁ。僕を必要としてくれるヒトもいるんだなぁ」

「だから、大げさだと言っている。おまえは興味深い。だから約束したんだよ」


 照れくさそうに右手で後頭部を掻いた少年である。


「僕はただの中学生ですよ?」

「思考回路の優秀さと年齢は比例しない。今回、その旨、学んだよ」

「買いかぶりすぎだと思うけどなぁ」

「おまえ、名は?」

「ファーストネーム? ファミリーネーム?」

「ファーストネームのほうが好ましい」

「どうしてですか?」

「いいから、さっさと答えろ」

「タカシです」


 私は「ふん」と鼻を鳴らして、「どこにでもある名だな」と憎まれ口を叩いた。タカシはおかしそうに笑ったのだった。


「あなたなら、そうおっしゃるだろうなって、思いました」

「名は凡庸だが、人格は稀なものだと買っているぞ?」

「嬉しいです。とても嬉しいです」

「へたに褒めているつもりはない」

「お茶、おいしいです」

「高くはない物なんだがな」

「気持ちがこもっているんだと思います」

「私になにも期待するな。そういうのが一番、吐き気を伴うんだ」


 タカシは笑った、大らかに、気持ちよく。


「あなたみたいな友だちがいるって、学校で自慢しちゃおうかな」

「やめておけ。誰も喜ばん。なにより私が喜ばん」

「親には感謝しているんです」

「いきなりなんの話だ?」

「僕は東大に行きたいんです」

「話がぴょんぴょん飛躍するな。それがおまえなのか? おまえなんだろうな」

「キャンパスライフという言葉に、憧れませんか?」

「私は経験者だが、大したものではなかったよ。だから学校を裏切るようなかたちで、好き勝手をやっていた」

「でも、いい大学だったんでしょう? そんな雰囲気があります」

「ニッポンの大学は入るのが難しいだけで、卒業するのは簡単だ」

「やっぱり、そうなんですか?」

「志が高いのはいい。一度、自分で体感してみることだ。ちなみに、私がむかし努めていた会社には、東大を二回、卒業したジジイがいた。よほど暇だったんだろうな。でなければ救いようのないザコだったんだ」


 タカシは「あははははっ」と朗らかに笑った。


「そういった事象や事情はともかく、だ」

「はい。なんですか?」

「何度も訊ねた。おまえはなぜ、悲しんでいるんだ?」


 切なげな目をして、さらには下唇を噛み、そんなタカシ。


「どうしてだと思われますか?」

「わからんから訊いている。だが、悲しみと仲良しであろうことはわかるんだ」

「それが、あなたの能力?」

「そうとも言うな」

「お茶がおいしいです」

「それは聞いた」

「そして、親に感謝しているんです」

「それも聞いた」


 タカシはおずおずといった感じで、「また、ここに来てもいいですか?」と訊ねてきた。「ああ、かまわんぞ。ぜひ来い」なんて回答は、私にしてはとても珍しい。


「一週間後、ここを訪れたら、僕のすべてをお話します。それまで待っていていただけますか?」

「基本、手が空いているんでな」私は肩をすくめて見せた。「酒でも酌み交わしたいのであれば、それなりの物を用意しておこう。焼酎だ。飲めるか?」

「まさか」タカシは笑んでみせた。「僕はイイ子どもなんです。偽善者なのかもしれないけれど」


 眉根を寄せた、私。


「タカシ、おまえはなにを言っている? なにが言いたい?」

「ですから一週間後、お話します」

「時間や期間に意味はあるのか?」

「僕はまた、あなたに会いたいです」

「なにがなんだかわからんが、私もだと伝えておこう」

「もう行きますね」

「見送ろう」

「ありがとうございます」


 言葉のとおり、私は玄関を出たところでタカシのことを見送った。タカシは「バイバイ」と小さく手を振り、向こうへと歩いてゆく。


 なぜだろう、その姿に、その背に、不安ななにかを見て――。


 ――タカシの遺体が近所のどぶ川で見つかったのは、それから三日後のことだった。


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