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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
七.ほんとうの悲しみを知るにあたり
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七ノ01

 学ラン姿の小さなその少年の頭上には「悲」が躍っていった。来店して以来、文庫本のコーナーで書籍を手に取っている。手入れもしていなければ修繕もしていないのできれいな本があるわけないのだが――そういうこともあってだろう、時折、埃を吸い込んでけぷこんけぷこんと咳をする。


 そのうち、少年は文庫本を携え、レジにやってきた。なにも目に入っていない――否、目に入れていないように映る。少なくとも、私のことは見ていない。


 少年が「あの、これが欲しいです」と差し出してきた文庫本を、私は受け取った。


「ペンギン・ハイウェイ。森見登美彦か」


 少年は「はい」と笑んだ。

 笑顔は結構、かわいらしい。


「中学生か?」

「はい。三年生です。ハードカバーでも買ったんですけれど、まさか状態が良くて、この作品を文庫で……。百円だと、もったいない気がします」

「あまり興味がないんだよ。私が百円でいいとしたものは、百円でいいんだ。それより、少年よ、おまえはなにが悲しいんだ?」

「えっ」

「神さまのいたずらというやつでな、私にはその人物の心が読めるんだよ」


 少年は苦笑じみた表情を浮かべ。


「べつに、悲しいってわけじゃないんです」

「いいや。理由まではわからんが、おまえは確実に悲しんでいる」


 すると、笑い顔を見せながらも、少年は頬を涙で濡らした。


「ほんとうに、悲しいわけじゃないんです」

「だから、それはノーだと言った。でなければ、弱々しく泣いたりしない」


 右手の人差し指で、涙を拭った少年。


「ペンギン・ハイウェイの……ヒロインとでも言ったらいいのかな? 主人公は彼女のことを、イルカみたいだって表現するんです」

「それが、どうかしたか?」

「あなたもイルカみたいにしなやかだな、って」

「ませた口を利くな。私は怒りっぽいんだよ」

「だとしたら、ごめんなさい」


 痛々しくも映る笑み。


「今日はもう店じまいだ。本は売ってやる。そして茶くらいは出してやろう」

「えっ、そんなの悪いですよ。僕はあなたになにもしていません」

「興味深いセリフを吐く少年だ。そのへん、評価に値する」

「僕はほんとうに、なにも悲しいとは思っていません」

「そういうニンゲンは、決まってネガティブななにかを抱えているものだ」


 少年は俯いた。


「どうして、悲しんでるって、わかったんですか……?」

「企業秘密だ。しかし、私にはわかるんだよ」

「……お茶」

「ん?」

「お茶、今度いただいてもいいですか? またあなたと会う理由がほしいので」


 なるほど。

 なかなか頭のいい少年だ。

 有望な人材など、なかなかいない。

 問答無用で、買ってやることができる。


「あの、でも、一つだけ……」

「いいぞ。答えてやろう」

「あなたは悲しいことがあったとき、その気持ちを、どう処理しますか?」


 私は目線を上にやった。


「そもそも、私には悲しいと感じることなど滅多にないからな。両親が亡くなってしまったとしても、一日と経たずに立ち直るだろう」

「強いんですね」

「違う。他者への興味が薄いというだけだ」

「素敵だなぁ」

「私が、か?」

「はい。結婚するなら、あなたのような女性がいいです」


 眉根を寄せ、難しい顔をした私である。


「私と結婚しても、セックスレスだぞ」

「そうなんですか? でも、それでもいいです。ヒトの価値って、思考することにあると思うから」

「まったく、稀有なまでに気持ちのいい少年だな」

「そうですか?」

「ああ。おまえが大人になって、そのとき私が売れ残っていれば、あるいはそういうことがあるかもしれん」

「じゃあ、これからもがんばって、生きようと思います」


 少年の声は初めて年相応に弾んだ。


「一週間以内に来い。どれだけおもしろいガキでも、私の場合、忘れてしまう可能性があるんでな」

「わかりました。必ず来ます。ありがとうございました。おしゃべりできて、とても楽しかったです」


 少年はぺこりと頭を下げると、本を受け取らずに出て行ってしまった。失念したのか――そんなわけはないだろう。だったら、ほんとうに欲しい物ではなかった? ――もはや、どうだっていい。「悲」の意味を知りたかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなか興味を引く少年の登場ですね(*^^*) はたして何に悲しみを感じているのか、気になります◎
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