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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
四.中指と親指
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四ノ03

 夜、電気を落とした二階の部屋。楡矢と並んで寝転がっている。布団は別だ。当然だ。私は男と同じ布団に入ったことはないし、これから先もないだろうと踏んでいる。あいにくと「そういう行為=セックス」には興味を引かれないし、またそそられないのだから。今後、その思いは変異するのだろうか? そうなれば、まあ、おもしろいのかもしれない。自然的な流れに身をゆだねつつ、自身を見守っていこうと考える次第である。


「絵に描いたような煎餅布団やなぁ。なんや、身に染みるなぁ」楡矢が「身体、痛くなったりせーへんのん?」と訊ねてきた。

「慣れだ」と私は答えた。「人生、だいたいのことは、慣れで通せる」

「まあ、そうかもしれへんけど。風呂、おおきにな」

「なんの話だ?」

「いや、貸してもろてありがとう、って」

「色をつけて代金を置いていけば、おまえにも多少の尊さが芽生えることだろう」

「それをやって、俺になんかメリットある?」

「なにもしないよりは、私に認められる」

「ほなら、いくらか包むしかないなぁ」

「冗談だよ」

「うん、わこてる。おおきにな」

「今度はなんの礼だ?」

「ただ、なんとなく。おおきにな」

「ふん」


 楡矢が喉を鳴らすようにして笑った。

 私は身体を捻って、楡矢に背を向ける。


「ええ女が近くにおるってんなら抱きたいなぁ。メッチャ抱きたい。したいよぉ、鏡花さん」

「くだらない文言を子どもみたいに吐くな。背筋が凍る思いがする」

「なんで?」

「気持ちの悪いセリフだからだよ」

「手厳しいなぁ。切なくなるわ。ともあれとはいえ、生活に困るようなことがあったら、絶対に言うてや? 鏡花さんに苦労は似合わんさかい」


 私は鼻から息を吐いた。「おまえは私のなんなんだ?」と問いかけ、「へたに深入りするな」とだけ忠告した。「あら、そ」と素っ気ない楡矢。「せやけど、俺は本気やから」と肝心の一言を付け足した。背中にぶつかってきたその言葉は、私になんの変化ももたらさない。薄情だろうか? だとしても、そういうニンゲンなのだからしょうがない。


「昨日もさ、小説、書いててんよ」

「率直に訊こう。芽は出そうなのか?」

「出版社に勤めてる知り合いが何人かおるさかい、望めば叶うやろうね。一度世間に出てまえば、それは恐らく、泡沫であろうことは置いといて」

「ネットへの投稿、おもしろいのか?」

「まあまあ、そうやな。暇潰しにはなる。推敲、メッチャめんどくさいけど」

「ほぅ。おまえみたいなニンゲンでも推敲はするのか」

「するわいさ。恥ずかしくないもんを出したいし」

「おまえが書くのは、文学だったな」

「そうやけど、それがどないかした?」


 私は目を閉じていて――だからもはや、いつ睡魔に首を刈り取られてもおかしくないのだけれど――。


「文学で跳梁跋扈が可能だとは思わん。どうせ廃れていく分野だろうからな。そうである以上、売れ筋のジャンルで勝負したほうがいいに決まっている。真実であり、真理だ」

「大衆に迎合してしもたら、俺が書きたいもんを書けへんくなってまうよ」

「ああ、まあ、そうか。おまえはいわゆるガチ勢じゃないんだったな」

「そうやよぅ。あわよくば印税で暮らしていこうとか、そんな大それたことは考えてへんねんわ」

「出版業界に一石を投じたいだけだというわけだ」

「あかん?」

「おもしろい考え方ではある。志が高いこと自体は買えるからな」私はやはり目を開くことはしない。「売り上げ度外視のニンゲンが作家を名乗るのはどうかと思うが、なにか目的があるのだとすれば、その限りではない。前向きにがんばれとしておく」


 私は「もう眠い。寝るぞ」と言い、アルマジロみたいに身を丸くした。やっと眠れそうな気分になってきた。――より健やかな安眠を得るために静かな音楽がほしい。そう考え、枕元にある――祖父の遺品の古いラジオに電源を入れた。某有名邦人ジャズピアニストがパーソナリティを務めるFMの番組に出くわした。トリオの「いそしぎ」が流れる。ピアノよりもドラムよりも、私はベースが好きだ。無音よりも、聴いているほうがかえってよく眠れる。


「鏡花さんはジャズが好きなん?」

「嫌いじゃない。――が、そんなことはどうだっていい。寝ろ」

「明日の朝、台所、借りてええ?」

「目的は?」

「朝ごはん、作ったげるよ」

「気持ち悪いな」

「優しいなって言うたって」


 がしゃーん。

 階下から、ガラスが割れる音がした。


「おいでなすった」背後で楡矢が身体をのそりと起こした気配。「さあ、とっとととっちめてまいりましょうかね。こちとら準備万端や」


 仰向けになり、今度は楡矢のほうへと顔を向けた私である。「待て。二階で迎撃したほうがいい。どう考えても、そうしたほうがいい」

「あかんよ。鉄砲持ってたらややこしいさかい。じり貧になってまう」

「ニッポンはいつからそんな危なっかしい国になったんだ?」

「いつからやろうねぇ。とにかく任せといてよ。うまくやるさかい。女一人守れへんでどうすんねんって話やしね」


 楡矢が階下へと向かう。


 さすがに横になったままではまずいだろうと考え、私は上半身を起こした。立ち上がる。楡矢がやられた場合、窓から飛び下りて逃げるしかない。大人の男を問題なく駆逐できるとは、私だって思っていない。むしろ危険な行為だろう。


 まもなくして、「ぎゃあ!」やら「ぐえっ!」やら声がして。――立ち居振る舞いから、楡矢がなにかの心得があることがわかっている――わかっているのだが、気づけば私は「楡矢!」と叫んでいた。「問題ないよーっ!」と返ってきたのだった。「下りてかまわないか?」と訊ねると、「いんや。二階におって」と返答があった。


 その指示に従う理由はないのだが、なぜだろう、多少のためらいを覚え、私は自重した。


 クリーム色のカーディガンを羽織り、前を掻き合わせる。十分と経たないうちに、サイレンの音が聞こえてきた。窓から外を見ると、玄関の前に二台のパトカー。赤色灯がぐるぐる回り、あたりを照らす。夜なのだから目立たないようにしたほうがいいに決まっているのだが、今さら文句を言ってもしょうがない。


 さて、どうしたものかと迷った挙句、私はカーディガンを脱いで、あらためて布団に横になった。寝て起きたらまるっと片づいているだろうと考えた。楡矢が「解決する」と宣言したわけだ。だったらひたすらに信じてやればいい――と結論づける私は冷たいニンゲンなのだろう。ただ、今夜のことについては若干、感謝した――「強姦」という行い自体に興味は覚えないが、その二文字そのものはなんだかとても怖く感じられた。私にしては珍しい感情と言えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] まさか鏡花さんに懸賞金がかけられるとは●~* 物騒な展開になってきましたね(´・ω・`) 楡矢が思いの外強くて頼りになります◎ 犯人の正体と目的が気になります(*^^*)
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