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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
五十. ゴミと愛
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五十ノ03

 新千歳空港最寄りのレンタカー会社から楡矢が車を走らせる。以前、マキナの奴は外国のオープンカーを駆ってくれたものだが、そのときに比べるとずいぶんと落ち着いて乗っていられる。どちらかというとファミリーカーだ。べつに旅路を急ぐつもりはないらしい。


「どない? ええやろ? こういう落ち着いた車、俺は好きなんやわ」

「おまえは前を向いてただ運転にだけ勤しめ」

「えー、俺が事故る思うん?」

「万が一が考えられる」

「えーっ」

「いいから黙って運転しろ」


 楡矢がこれからの旅程について、いまさならがら説明してくれた。


「その洞爺湖とやらには、まりもがいるんだろう?」

「それは阿寒湖やわ」

「だったら、なにがいるんだ?」

「鹿や」

「鹿? 鹿がいるのか?」


 楡矢は目を丸くすると、肩の力を抜いたようにして笑った。


「洞爺湖の鹿、有名やで?」

「私は知らんぞ」

「それは鏡花さんが不勉強であることを示してる」

「むぅ」

「まあ、鹿には会わへんよ。湖からはじゃっかん離れてるさかいね」

「鹿の奔放さには敬意を表したい」

「奔放ってわけでもないと思うけど」


 楡矢は私のほうを向いてゆったりにっこり笑った。

 だからなおのことしっかり前を向いて運転しろと言いたい。



*****


 いまは九月。


「このホテル、四月にオープンしたばっかなんやってさ」と楡矢は笑った。見るからに高そうで偉そうな宿だ。宿泊費のことを考えるとそれなりに空恐ろしくもなるというものだが……。


 客に対して「特別」というわけでもないのだろうが、ポーターを連れて部屋まで案内してくれたのは支配人だった。部屋に足を踏み入れ、視界が開けたところで驚いた。明らかにスイートだ。私は自分でもわかりやすい難しい顔をしながら室内を散策――ベランダにはいわゆる専用露天風呂が二つもあった。穏やかに波打つ湯船と、まるきり高貴なジャグジーである。


 私がベランダの(ふち)から景色を眺めていると、隣に楡矢が立った。「すばらしいやろう? 吟味したんやで?」などと言う。たしかにすばらしい。洞爺湖が一望できる。あれが中島か……。とにかく広く、また優れた眺望だ。


「鏡花さん、俺と一緒に、露天風呂、浸かる?」

「馬鹿抜かせ。お断りだ」


 べつにそうしてやってもよかったのだが、私の口から肯定の言葉は出てこなかった。咄嗟にそうとしか言えないあたり――まあ、そういうことなのだろう。



*****


 暗くなっても、私はテラスから空を眺めていた。闇が映える、星も、月も。


 こういうタイミングだと、私は妙にセンチになる。夜空を見るたび思うのだ。私はいままでの人生において、どれだけの人生を不幸にしてきたのだろうか、と。そんなこと考えてもしょうがないことなのに、考えることは考えてしまう。


 楡矢が「鏡花さん、食事の準備、できたよぉ」と室内からガラス戸を開け、そんなふうに呼びかけてきた。私は「ああ」とだけ答え、つっかけを脱いで、室内に戻った。「はよはよ、おいで」と促された。なんとまあ室内の巨大な鉄板の上でシェフが肉やら海鮮やら野菜やらを焼いているではないか。


 私が目を見開き驚いていると、「まあまあ座りぃや」と楡矢が言った。私は背の高い椅子に腰掛けながら、さまざま考えた末の結論として、「感心できんな」と吐息をついた。


「まあまあ、そない言わんと」

「振る舞われた以上は食ってやる。もったいないからな」

「それでええんやよ」


 楡矢は笑った。



*****


 私はもう一度風呂に入って、髪も身体も洗ってから、バスローブを羽織ってベッドに横たわった。なんだかダルい。先日の「一件」のせいだろうか。少なくとも私は「斬られること」には慣れていない。だからそういうこともあるのではないだろうか。


 楡矢が隣のベッドに「よっこらせ」と派手に飛び込んだ。


「明日帰る? 伸ばしてもええんやけど」

「やめられなくなるようなことはしない主義だ」

「カッコええなぁ」


 私は右手で長い前髪を掻き上げた。


「おまえは愚かだったな楡矢。ああ、そうだ。おまえは私と出会って以降、不幸にしか見舞われているように映る」


 いきなりのことだった。

 楡矢が飛びつくようにして、私に覆いかぶさってきた。


「楡矢、なんのつもりだ?」

「メッチャ抱きたい。どないしよう」

「抱けばいい。それなりにいい声で鳴く自信が、私にはあるぞ」

「やめてやぁ、そない言うの。メッチャ滾ってまうさかぃぃぃ」

「楡矢」

「なんやろ?」

「もう二泊くらいしていこう。網走とか、あっちに行ってみたい」


 楡矢はにっと笑うと、私の隣に転がった。


「遠いで、ホンマ」

「だから二泊なんだよ」

「仕事に支障をきたすなぁ」

「私はきたさない」

「自分勝手なこって」

「それが私だからな」


 間違ってもセックスをするような空気にはならなかった。だが、私たちは強く抱き合った。そこにあったのは信頼の証だったように思う。


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