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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
四十九.ストレイドッグ・セレナーデ
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四十九ノ02

 細い草を使って――堤防の斜面に座りながら草笛を吹いていた。バッタがいた。立派なトノサマバッタだ。むかしはよく、なんの目的もないまま、むしりとるようにバッタを取って遊んでいた。虫かごいっぱいにまで集めていた。いま思ったら彼らには非情な真似を強いたわけだ。許してもらいたい。許してもらえるなら。


「あー、いたのです、いらしたのですっ!」


 聞き覚えのある声に振り返ると、黒いセーラー服姿の千鶴がいた。ぱたぱた駆けてきたかと思うと隣に座り、私の左半身にぐいぐい身体をくっつけてきた。


「ひゃあぁ、鏡花さんはやっぱりよき香りがするのですよ、ひゃあぁ」

「用件は? 私を探していたようだが?」

「物は単純、さらに物は相談なのです」

「だから、それくらいは察している」


 千鶴はなおも身体を押しつけてくる。


「サッカー部の男子に告られてしまったのです。イケメンです。当校きってのイケメンなのです」

「なんだ。要するにおまえは自慢しにきたのか」

「そんなわけないじゃありませんかっ。ぷんすこなのですよっ」

「わかっている。なにか問題があるのか」


 問うてやったところで、千鶴は俯き暗い顔をした。

 ただ事ではないのだろうなと思う。


「どういうことだ?」

「レイ、プ……」


 私は首を傾げた。


「それがどうした?」

「サッカー部の連中はかわいい女のコを部室に連れ込んでは行為に及び……」

「なるほどな」俄然、得心がいった。「だったらおまえは気をつければいい」

「それはそうなんですけれど……」

「なにか問題が?」


 俯いていた千鶴が、ばっと顔を上げた。


「私は連中に罰を与えたいのです」

「無関係なのにか? おまえは神でもないのにか?」

「それは……」


 私は顎に右手をやり、「楡矢の奴に探らせよう」と提案した。「それって速効性がある手段ですか?」と問うあたりに千鶴の苛立ちが垣間見える。


「奴さんは奴さんで忙しいようだ。だが、次に顔を見かけることがあれば必ず伝える。約束だ」

「私は我慢できないのです!」

「それはわかった。だが、いまさらじたばたしても始まらん」

「いいコなのですよ」千鶴は顔をくしゃくしゃにして泣く。「どうしてあんなにいいコがレイプだなんて……」


 気持ちはわかる。

 私が千鶴の立場でも同様に感じたはずだ。

 だからといって、失ったものは帰ってきやしない。


 私はまた前を向き、草笛ぴゅうと吹く。


「千鶴は私にとって大切な友人だったとして」

「だったとして?」

「もし仮にそうだとするなら、おまえを苦しめる存在がいるなら容赦なく殺してやろうと思う」

「こ、殺せるんですか?」

「ああ。殺せる。なにせ大切な友人だからだ」


 私は左手を使って千鶴の左の肩をしっかり抱いてやった。


「おまえはまだ若いんだ。頼む。どうか投げやりにだけはならないでくれ」


 すると千鶴は「うえぇ、うえぇぇ」と涙声をこぼし、それから私にしがみついてきた。


「男のヒトなんて嫌いです。大嫌いです!」

「楡矢のことすら、か?」

「もはやそうなのかもしれません」

「寂しい話だ」

「でもっ!」

「寂しい話だよ」


 なおいっそう、しがみついてくる。


「殺してやりたいです、くそったれ……っ」

「出張ではあるものの、帰ってこないなんてことはないはずだ。間違いなく私が楡矢に話を通しておく。なにも心配はするな」

「ほんとうですか?」

「嘘をついてどうするんだ」


 目も鼻もハンカチで拭うと、千鶴は立ち上がった。強くて怖い目をして、私のことを見下ろしてくる。弱い弱いとばかり思っていた量産型女子のはずだったのだが、案外そうでもなく、帰り際、走り去る直前に振り返り、「約束破ったら承知しませんからね!」と叫んで立ち去った。案外強いらしい。



*****


 帰り――堤防を歩いている最中にあって、後ろからぷっぷーっとバイクのクラクションを鳴らされた。無礼な奴だなぁとなかば嫌気が差しながらも振り返った。おやまぁ、我が商店街にて軒を連ねる雑貨屋の主人だった――元は雑貨屋だったと言ったほうが正しい、いまは駄菓子屋だ、ずっとやってみたかったらしい、まだ若い。私より少し上くらいだろう。


「鏡花さん、どうしたんだ、一人で」

「私はいつも一人だよ」


 こいつは他の商店街の住人と比べると幾分礼儀ができている。


「用事があったようでなかったようで、結局堤防にいた」

「なんだそりゃ」雑貨屋は笑った。「いっぽうで、俺はなにしてたと思う?」

「どうせ子ども相手に駄菓子を売って回ってたんじゃないのか?」

「正解だ」男は照れ臭そうに笑った。「でももうなにも売れなくなっちまった。衛生面とかそういうのも邪魔してるし、客観的に見れば怪しげなおっさんが物を売ってるようにしか見えないんだろうなって思う」

「それはそうだ」

「いっぺんに肯定されても困るんだがな。でも――」

「でも?」

「俺は悪人じゃない」


 そういった事実があるのであれば、なにより千鶴らに報いることができれば、よいのだが――。


「あー、なんだ、なんとなくわかるよ、鏡花さんよ」

「だったら全部語ってみろ」

「一言で済む。男と女のいざこざだろ? 根差しているんだ、そこには、それくらい」


 あまりにいきなりに確信をつかれたので、目を見開くとともに肩の力が抜けた。


 なにも知らない男の頭を、すべてを知っている私は引っぱたいてやった。

 も一度、引っぱたいてやった。


「いろいろあるよな、世の中」

「問いたい」

「は?」

「問いたい」

「う、うん」

「女は弱者だと思うか?」

「えっ」

「女は弱者かと思うかと訊いたんだ」

「そ、それは、思わねーけど……」


 私は三度(みたび)、男の頭を叩いてやった。


 叱りつけたのかもしれないし、「それでいいんだ」と褒めてやったのかもしれない。


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