四十八ノ03
夕食に付き合え。誰でもない楡矢からそんなふうに言われたものだから、てっきり「きちんとした場所」での食事だと思っていた。そうでもなかった――というより、近所の焼き肉屋すぎて笑えた。ホッピーを出すような店だ。だから私は嫌いではない。
「焼き肉、おいしいよねぇ」牛タンをはふはふ食べながら、ニコニコする楡矢である。「ああ、白いご飯、欲しいなぁ。せやけどそれやってしまうと、二度とアルコールは入らへんくなるんよなぁ。鏡花さん、このへん、尊いジレンマやと思わへん?」
「知らんがな」
「おぉ、知らんがなとは。時流に乗ってる鏡花さん」
「そういうわけでもない。――が、多くの場合、知らんがなの一言で片づくことに気がついた」
「慧眼の成すとこやね」
「言われるまでもないな」
ほらほら、食べ食べ。
そう言って、楡矢は私の小皿にどんどん肉をのせてくる。ありがたいのだが、おまえこそもっと食べろと言いたい、私よりずっと立派な身体をしているのだから。
「棺桶男の件は、心配要らんで」
「真っ先にそれを話せ。ほんとうに問題ないのか?」
「問題ないよぉ。俺の実力を舐めんなや」
実力とか、じつはそのへん、私は興味がない。
ふんとつまらなく鼻を鳴らし、今度は私が楡矢の小皿に肉を取ってやった。
「壺漬けカルビ、食べる?」
「要らんな」
「ロースは?」
「要らん」
「キムチは」
「もらおう」
楡矢が「ここは引き払って焼き鳥屋行こうや。付き合えよ」などと言った。
付き合え。
私に命令口調を飛ばすとは。
最近、まるっきりそんな奴、いなかったなと思う。
*****
チェーン店だ。ボックス席が良かったのだが、客の入り上、そうともゆかず、狭い狭い席に並んで座らされた。正面上部のテレビでは今日のナイターの結果を、NHKでやっている。贔屓の球団は負けていた、ファック。
「うへぇ、こないな贅沢ないわぁ。鏡花さんと並んで座れるとかぁ、しかも密着しまくりとかぁ」
「もっとくっついてやろうか?」
「いや、もうええ。これでじゅうぶん」
「そんなふうに言うから、私はおまえのことが嫌いじゃないんだよ」
ねぎまが数本運ばれてきて、私がじつは肝いりでオーダーした青唐辛子の激辛つくねもやってきた。どれもうまい。チェーン店、侮るなかれ。楡矢はぎんなんを頼もうとしたのだが、「もうない」と突っぱねられた。――すると塩ホルモンを連打。まったくよくわからない人格である。
「俺らってさ、身体でっかいから、こういう席はホンマ狭いよね」
そう言って、楡矢は笑った。なにをいまさら。わかりきっていたことではないか。――でも、でも、身体を密着させているいまは決して悪くない。へたなガキなら、相手にしなかっただろう。へたに大人ぶって接してくるようであればそれはそれで嫌っていた。そのへん、楡矢は私にとって稀有な存在だ。どうかそのままであってほしい。私を最初に抱くのは楡矢、おまえなのかもしれない。
*****
帰路。
「一人で帰ると言ったつもりだが?」
「アホかい。鏡花さんみたいな美人、夜道に放り出せるわけないやろぉ」
「ま、そうだな」
「あはははは」
商店街。
楡矢は私の前を行く。
――そして急に振り返った。
「俺、明日からまた、ソロモンなんやわ」
私は目をしばたいた。
「ほぅ、そうか」と不思議と笑みがこぼれた。「また戦争か。好きだな、おまえも」
「こっそり仕掛けて、こっそり帰ってくる。へたしたら大事になりかねへんさかいね。これは俺と柘植さんだけの問題や」
「悲しい結果にならないことを祈っているよ」
「おおきに」
楡矢は踵を返し、また向こうを向いた。
「なあ、鏡花さん」
「不安か?」
「えっ」
「不安かと訊いたんだ。帰ってこれなくなるかもしれないから不安かと訊いたんだ」
楡矢は足を止め、俯いてみせた。
「さすがにな。俺かて、そう簡単には死にたくないさかい」
「嘘だな、それは。おまえは自分の身が滅びるくらい、なんとも思っていないだろう?」
「まあ、じつはそうなんやけど」
「自らには素直であったほうがいいぞ」
「鏡花さんに言われると身に染みるわ」
私は足を止めたままでいる楡矢に近づき、その左肩を左手で抱いてやった。
「帰ってこい、楡矢、きちんと、私のところへ」
「そないなこと、わかってるんやけどなぁ」
「いいや、おまえはわかっていない。だから投げやりなんだろう?」
私たちはお互いに腰を支え合いながら――私の店の前にまで至った。
「俺はどないな帰結を望んでるんやろうね」
「それくらい、自分で考えろ」
「会うまではまたちょい時間かかるけど」
「私は死なんよ。健康なんでな」
「……行ってくる」
赤いジャケットに包まれた、楡矢の大きな背中が遠ざかる。