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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
四.中指と親指
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四ノ02

 楡矢がやってきた、約束どおり、朝一で。おかげで店を開けることができないでいる。まあ、いい。店頭で物が売れるなど、そうはないからだ。ネット販売で地道に利益を上げているに過ぎない。それでも、ヒト一人が食っていけるだけの収入は得られているので、なにも問題はない。


「ほなら、鏡花さん、今日は本題を話させてもらうでぇ」出してやった最中もなかを、楡矢は頬張り、咀嚼し終えた。「最近、この店の前をうろうろしてる奴がおるんやわ」


 私は少し目を大きくした。気配には敏感なほうだと自負しているのに、まるで気づかなかったからだ。「ほぅ。そうなのか?」という言葉も、純粋で無垢な響きを伴った。


「男か? あるいは女、どちらだ?」

「男。中年と思しきおっさんやよ。さて、問題です。なんでこの店のこと、うんにゃ、ひいては鏡花さんの様子を窺ってるんやと思う?」


 私は肩をすくめた。


「私に興味を持つニンゲン、特に男は決まって、そうだ。私に邪な感情を抱いているんだろう。それ以外のケースには、なかなかお目にかかることがないからな。純愛など珍しい。というより、まずないと言っていい」

「どうやら、そのとおりみたいやよ」と、楡矢も肩をすくめ。「どないしよ? 俺のほうで請け負ったっても、ええんやけど」

「見返りをくれてやるのは気に食わん。いい。放っておけ。私が対処する」

「正直、言うで?」

「言ってみろ」

「鏡花さんは俺のもんやさかいね。万一があったらあかんねわ」


 眉根を寄せ、私は難しい顔を作った。


「勘弁願いたいな。私は誰のものになるつもりもない」

「あなたに会って、俺には人生の目標ができた」

「それは?」

「鏡花さんの一番になることや」

「身に余る光栄だ」

「身の程をわきまえてへん片想いとも言うんやろうけど」


 楡矢は喉を「クック」と鳴らした。


「男について、調べはついているのか?」

「いんや、これからやよ。なにか起きる前に洗うつもりやけど」

「何度も言わせるな。捨て置け。報酬をくれてやるのは割に合わん」

「おまわりさんに出動願う?」

「だから、そんな真似はせん。なんとでもなる事案でしかない。以上だ」


 楡矢がすぅーっと右手を伸ばしてきた。私の左の頬に触れようとしているのだとすぐにわかった。だからその手を叩き落とした。まったく、何様のつもりなのか、解せやしない。


 ――と、家のチャイムが鳴った。朝っぱらから誰だろう。楡矢以外に今日の約束はない。なにかを予感したのか、あるいはなにかを悟ったのか、楡矢は「俺が出るわ」と言った。


「ちょい見てくるわ。鏡花さんは、ここにおってよ」

「誰かに守られる理由も謂れもないと言ったつもりだが?」

「それでも、身体張るのは男の役目やさかいね」


 なるほど。なかなかいいことを言う。楡矢は玄関へと向かう。引き戸を開けて出迎えたであろうタイミングからややあって、ヒトとヒトとがもつれ合って倒れるような音がした。いかにも剣呑だ。いったい、なにがどうなっている? 興味本位ではない。不安になったわけでもない。ただなんとなく気になって、私もまた、玄関に顔を覗かせた。楡矢が男を取り押さえている場面に出くわして――男はいかにも中年といった感じの禿げ頭で、楡矢はその人物をうつ伏せに倒していて――左手で左腕を背に捻り上げ、右手で後頭部を押さえつけていて――。


 楡矢は私を見て、少々、口を尖らせた。


「来たらあかん言うたやん」

「心配してやったんだよ」

「それはおおきに」

「まったくだ」


 つっかけで禿げ頭を側面から蹴りつけてやろうかとも考えたが、やめておいた。見ず知らずのニンゲンに攻撃を加えるほど私は非常識では――ないつもりだ。


「おっさん。あんたは最近、このへんうろついてる男にそっくりなんやわ」

「そ、それだけでこんな真似をするのか――ぐあぁっ!」

「いきなり刃物抜いといて、なにほざいとんねん」


 楡矢が捻り上げる力を強くしたのだろう。男はさらにみっともなく「ぎゃあぁっ!」と悲鳴を上げた。確かに、地面には柄も刃も小さなナイフが落ちている。殺傷する武器として扱うには頼りない。脅しにもならないように思う。


「まだなにもしてへんのは事実や。裏を返せば、これからなんかしたろうってつもりやったんやろ? そうなんやろ? にしても、わざわざチャイム鳴らすなんてな。無駄に礼儀正しいやんか。感心感心」

「ぐっ、ぐぐ、ぐ……っ」

「ほら、知ってることは速やかに吐けや。短気なんやぞ、俺は」

「わ、私はなにも話さんぞ」

「せやったら、この場で殺したってもええんやけど?」

「ば、馬鹿な、そんなこと、できるはずが――」

「警察には知り合いが多いんやわ。いくらでも揉み消せる」

「ぐ、ぐぅ……っ」

「おら、話さんかい。なにが目的なんや?」


 男は観念したように、「そこの女、三上鏡花には賞金がかかっている」などと言った。なんのこっちゃわからないからだろう、楡矢が「どういうことや?」と凄んだ。


「強姦してその様子を撮影すれば、報酬が得られる。そういう話なんだよ」


 私は楡矢と顔を見合わせた。


「報酬って、なんぼや?」


 十万だと返ってきたので、私はしかめっ面をした。「やれやれ。安く見られたものだな」と呆れもした。「しかし、誰かの恨みを買うような暮らしはしていないつもりだ。誰が依頼者なのか、教えてもらえるかね」


 うつ伏せで半ば地面を舐めている状態であるにもかかわらず、「だから、言うわけないだろう?」と男は不遜な様子を見せた。いっこうに口を割らない。クライアントとの約束は守るということだろうか。だとしたら、妙に律儀だと言える。


「捕まることは覚悟していた。イイ女を抱きたかっただけなんだよ」

「せやさかい、おっさん、それは許されへんし、受け容れられん話なんやわ」

「おまえは三上鏡花の男なのか?」

「そうは言わん。せやけど、ま、気絶しとけや」


 後頭部を乱暴に押さえつける格好で、楡矢は男の顎を地面に激突させた。途端、男はぐったりとなった。意識を奪ったのだろう。顎を強くぶつけると、えてしてそういう状態に陥りやすいものだと聞く。


「こいつは警察に引き渡すとして」楡矢は言いつつ、立ち上がった。「やっぱさ、鏡花さん、しばらくは俺んこと、ボディガードとして雇ったほうがええと思うんやけど?」


 私は腕を組み、「そうなるかね」と答えた。


「おっ、ホンマに?」

「ただし、無報酬だぞ」

「それでも、家に寝泊まりさせてもらえるだけでも、かなり有意義やわ」

「私はここにいる」

「うん?」

「私はここにいると言ったんだ。そうすれば、私を囮にすることはできるはずだ。そのあいだにケリをつけろ」

「暴論や」

「正論だよ」


 結局、楡矢は「わかりましたぁ」と物分かりのいいところを見せ、「協力しますよってに」と微笑んだ。


「犯人はどこで私を見つけたんだろうな」

「それは問題やないよ。そのへん歩くだけでも、鏡花さんはナチュラルに目立ってまうさかい」

「怖いな」

「おぉ、しおらしいやん」

「馬鹿を言え。ジョークに決まっているだろうが」

「どないしよ」

「殺処分ありきで、私はかまわんぞ」

「極力、それは避けたいなぁ」

「私はなんとかしろと述べている」


 まあ、ええわ。そんなふうに言うと立ち上がり、楡矢はスマホを耳に当てた。内容からして、警察に用件を告げているようだ。――まもなくして、通話を終えた。


「確認やけど、俺んこと、家に泊めてくれるってことで、ええ? なんかあったら、メッチャ後悔してまうさかい」

「やむを得んと言った。食事は出さんぞ。自分で弁当でも買ってこい」

「いけず」

「やかましい」

「なんか食べたいもん、ある?」

「唐揚げ弁当だ」

「安い舌やね」


 楡矢は「あははっ」と笑うと、今度は至極つまらなさそうな顔をして、男のことを仰向けにひっくり返した。私は膝を折り、その顔を観察する。やはり、見覚えのない人物だ。してやられたらそれはそれで仕方のないこととは言え、そもそもそういうことを企てる者は――その映像を欲しがるのはどんなニンゲンなのか。恐らく、男だろう。しかも、若い。偏執的な想いを寄せられることについてはある程度慣れているつもりではあるが、そういったケースはことごとくめんどくさい展開を招く。


 楡矢を働かせてやろう。

 男という生き物は顎でこき使ってやるに限る――それくらいの価値しかない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんだなんだ。急にきな臭い展開になってきましたね。 それにしても賞金十万は確かに安いですな。いったい何者が。
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