四十一ノ02
最も安い車を借りた。移動手段に金をかけたってしょうがない。
二時間ほど車を走らせての温泉街。歴史のある場所だ。その割には、さびれた、あるいは潰れてしまった旅館が多く目立つ。
「そこです、そこです!」千鶴が声を弾ませた。「そこの大きな旅館です!」
四階建てだ。もとは立派な建物であったことを想像させるが、いまは見る影もないと言っていい。外壁は一部が崩壊し、入るのには多少のためらいが生じる――とはいえ、ここまできたのだから、尻込みする理由もないのだが。
予約した旅館の部屋――ここはガキどもの要望から奮発した――は、値段に見合った結構きれいな一室だった。千鶴は「おぉ、よき長めなのです」と窓に張りつき、カイトも「おいおい、鏡花、川が見えるぜ」と言い。「よき眺め」というじつに抽象的な一言はゆるせても、「川が見えるぜ」という無駄に具体的な言葉には呆れたくなる。べつに珍しいものでもなんでもないだろうが。
「どうする? 肝試し、先に済ませてしまうか?」
「鏡花さん、明るいうちにやってはおもしろくないのですよ」
「そうだぜ、鏡花。千鶴の言うとおりなんだぜ」
カイトのイエスマンぶりはいい加減、どうにかならないものだろうか。
――湯を浴びることにした。
大浴場に向かおうとしたところで、案の定、カイトは遠慮するのである。
「や、やっぱりいいよぅ、俺は。耳のこと、あるんだし……」
「湯気にまみれて、誰にも見えんぞ」
「万一のことがあるじゃんよ」
「あまりに阿呆な客がいて騒ぎ立てるようなら、私が鉄拳制裁してやる」
「ぼ、暴力はよくない。よくないんだぞ?」
「たとえばの話だ」
「う、うーん……」
結局、三人で赴いた。
――風呂場にて。
背中の洗いっこをする。カイトをあいだに挟んでやった。カイトはこすられるたび、「ひゃあっ!」とか「うひゃあ!」とか声を上げた。ヒトに触れられ慣れていないであろうことが、なんだかそそる。エロい。カイトは女として、やはりエロいのだ。飢えた男どもの群れに一度放り込んでみたい――という欲求に駆られた。
私を真ん中に三人並んで湯舟に浸かると、湯を切るようにして、カイトの藍色の猫耳がぴょこぴょこと動いた。続いて「ふぃーっ」などとくつろぎまくった声を発した。
「サイコーじゃん。このあと、うまい料理も食べれるんだったら、さらにサイコーじゃんか」
千鶴が「これまでご家族で旅行など、なかったのですか?」と訊き、するとカイトは「俺が嫌がったんだ。とにかくひきこもりだったから……」と答えた。幾分しゅんとしているように映る。しかし、「刺身とか出るかなっ!」と切り替えは早い。刺身も肉も出るだろう。そうオーダーした。
――部屋にて。
「わああっ、ひゃあっ、ひゃあぁっ」
などと極度の喜びを大きな声で発した向かいの席のカイトである。そしたらカイトの隣で千鶴が「まったく、うるさいヒトですね」眉根を寄せた。「カイトの家は裕福なのです。豪華な食事なんてあたりまえなのでしょう?」
「そ、そうかもしれないけど、いまいる場所が楽しいから、きっと料理も格別なんだ。ああ、ありがとう、コックさん、板前さん。俺は大切にいただきます」
なんとも大げさな話である。
ちなみに二人の頭の上に浮かぶ吹き出しに見える感じは「愉」、愉快なのだろう。
私は瓶ビールを二本あおると、日本酒へと移行した。地酒だ。だからこそ、飲んでおこうと考えた。私も結構、ミーハーなのかもしれない。
「鏡花さんはまだ食べないのですか?」
「酒を飲み終えたら食べるんだよ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものなんだよ」
ローストビーフを口に入れ、咀嚼し、飲み終えたところで、次は鯛の刺身を食べた。地理的に考えてどちらも地物であるはずがないのだが、それなりにうまい。それこそ、"どこで食べる"かより、"誰と食べるか"のほうが重要なのかもしれない。
できることなら、食事を終えたらソッコーでひっくり返って寝てしまいたい――という考えを千鶴に見破られ、「あーっ、鏡花さん、ダメですからねぇ。今回の旅の目的は肝試しなんですからねぇ」と釘を刺されてしまった。
もはや私は、肩をすくめるしかなかった。
肝試しとやらが終わったら、もう一度、大浴場にお世話になろうと考える。