四十ノ03
コータはな、おととしまで、ひきこもりやってんよ。
そんな一言から、話は始まった。
「そないな折にな、いろいろあってんわ」
「そのいろいろを話せと言っている」
「コータのおかんが、ある日、とある人物を家に連れてきやってん」
「とある人物?」
「右の上半身に墨入れてて、それをひけらかすような若い男やった」
「どこで知り合った?」
「それは問題やない。男は専門家、反社のシノギの専門家やった。家でコータにビデオ見せて、それはがっちりした元格闘家とかがひよわなコらを鍛えてる――実際はその様子をだいぶん美化したもんなんやけど」
「母親が? その男に傾倒した?」
やれやれとでも言わんばかりに、楡矢が両肩を持ち上げた。
「当然、怖いやろ、そんなん。せやけどおかんはコータが泣きながら訴えても、あんたのためなんやからって聞かんかった」
そういう立場に置かれたことがあるわけではないので詳細までわかるはずはないのだが、コータの気持ちを思うと――きっと怖くて怖くてしょうがなかっただろう。やりきれなさしか覚えない。
「せやけど、そんな怖ろしいところから始まったのに、コータはめげへんかった。ただのチンピラ連中やけど無茶ばっかする。それでもコータは強かった。奴さんが得たんは強い身体や。ダイヤモンドの心や。ま、俺にはかなわへんえけどな」
「コータはなんて言ったんだ?」
「おかんにはええとこ見せて、自分をゴミみたいに扱ってくれる野郎どもには目に物を見せたるってな。そのとき、あいつはもう、心を決めてた。見た目があまりにぼろぼろやったさかい助けたる言うたのに、友だちになってくれれば、それだけでええって言いよった」
「結果は?」
「あいつはたった一年で、たった一人で、誰も想像がつかんくらい強くなった。誰にも文句を言わせへんくらいの己を確立したんや。おかんはそれはもう感動したそうや」
私は顎に右手をやり、「うーん」と唸った。
「しかし、そういうことになると、そのおかんは反社の連中に感謝したままではないのか?」
「コータ、土下座させてんよ」
「土下座?」
「反社の奴らの実態を話して、弱いニンゲンから搾取してるだけやって吐かせて、そのうえで、おかんのまえで、土下座させたんや。もう、わかるやろ? コータが自分自身で事を動かした。コータの勇気が結果を変えた。俺はあいつを死ぬほど尊敬してる。せやからさ鏡花さん、あいつが来たときには、こないなふうに、また麦茶くらい、振る舞ったってや」
この感動秘話、フツウのニンゲンが聞いたなら、涙するかもしれない。コータはそれに見合うくらい立派だ。どれだけつらい思いをしたことだろう。どれだけの苦しい思いに駆られたことだろう。泣き疲れてしまうくらい泣いた夜もあったことだろう。
ただ、私は冷たいニンゲンなので、事実を事実として聞き入れるだけだ――と言っても、やはりコータは立派だと、個人的には考える。
「ちなみに、コータの左の肩には銃創があるんや」
「そうなのか?」
「それくらい、危ない連中やったんやよ」
さすがに少し、驚いた。
「でもな、鏡花さん、男の本気は、銃なんかには負けへんねんで?」楡矢は得意げに、にししと笑った。「コータは鏡花さんのことが気に入ったんや思う。あんたは幸せやなぁ。強い男二人に守られて」
私は肩を一つ持ち上げるだけでやりすごし、「おまえのことはどうなんだ? 私にとってもそれなりに興味深い案件だ」と訊ねた。
「どうもなにも、奴さんらの規模からしたら、俺が破壊工作を試みたところでびくともせんさかいね。うまいこと立ち回って、うまいことやるだけやよ。核査察まで乗りきったくらいなんやから、当分のあいだ、連中の未来は明るいなぁ」
「まあ、どうあれ、おまえはここに戻ってきたわけだ」
「せやねん。きちんと戻ってきた」
「それはなぜだ?」
楡矢はまた、にししっと笑った。
「決まってるやん。この街が俺のマザーベースやからやよ」
合点がいく答えで、だから私が精一杯の思いやりを込めて「おかえり」と言ってやると、楡矢は「ただいま」と晴れやかに笑ったのだった。