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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
三十六.コインロッカーベイビー
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三十六ノ01

 値が張るうまい総菜を買いに行こうとした次第である。ネットで販売している書籍が思いのほか高く売れたのだ。いいことを継続していると思わぬ褒美が得られるのだ――とまでは言わないが、地道に商売を続けていたらいいこともある。帰りに菓子まで買おうとまで考えた。甘い物は案外、好きなのでる。基本、あまり生活にゆとりがあるとは言えない立場なので、そうそう簡単には購入しない代物なのだが。


「ふぎゃあっ、ふぎゃあふぎゃぁっ!」


 通りすがり――鍵がついた古いタイプのコインロッカーから、たしかにそんな泣き声を聞いた。赤ん坊のけたたましい自己主張である、間違いない。泣き声はまだ続く。耳を寄せる。やはり「ふぎゃあっ、ふぎゃあふぎゃぁっ!」なのである。明らかに只事ではないだろうと感じ、声がするほうを探った。声がしているにもかかわらずその声を無視する人々のなんと冷淡なことか。私は「ここだ」と思しきロッカーの戸をノックした。やっぱり、「ふぎゃあっ、ふぎゃあふぎゃぁっ!」と聞こえるのだ。ロッカーのなかなんて、密室ではないか。私はすぐさま駅員に事情を説明し、急いでロッカーを開けるよう伝えた。鍵を持った駅員が現れたのである。すると開けてびっくり、ほんとうに赤ん坊が収まっていたのである。


 絶句した。コインロッカーベイビー。テレビのニュースで見たことくらいはある。にしたって、現物を拝むことになろうとは。私は悲しくなり、赤ん坊のことを抱き取った。わんわん泣く。著しく大きな私の胸にちゅぱちゅぱキスをしながら眠りについてしまったことについても許容してやった。私は大らかなのだ。ためしに漢字を見てやった。「謝」とあった。赤ん坊にも「ありがとう」の気持ちは芽生えるものらしい。


 若い駅員が慌てた様子で「すぐに児童相談所に」などと言った。私は素直な疑問として、「児童相談所に預ければ、すべてはうまく回るのか?」と訊いた。「それはわかりませんけれど……」と煮えきらない返事をした駅員である。しかし、まあ、任せるしかないだろう。私自身、親が名乗り出るまで面倒を見てやってもいいのだが、そうもいくまい。


「すぐに責任者を呼んでくれ。あまりに不憫だ」

「わかりました。ありがとうございました!」


 大きな声で返事をした若者――顔面も身体つきも量産型の青年である。しかし、駅員は駅員だ。しっかり働いてもらいたい。


 ここで問題が発生した。男とも女とも見分けのつかないくだんの赤ん坊が、ふたたび泣きだしてしまったのだ。「えぇ、えぇぇっ!」と駅員は戸惑ったふうなリアクションを見せる。しょうがないなと抱き取ってやると、すぐに泣きやんだ。よろしくない展開だ。そういえば、以前にも似たようなことがあったなと思い出す。あのとき相手をしてやったのはヤクザの後継ぎだったか――どうでもいい。私は早いところ家に帰って高級総菜をつまみにビールを飲みたいのだ。とっとと夕食に興じたいのだ。


 駅員の青年が、おずおずといった感じで「お願いしてもいいですか?」などと訊ねてきた。「なんの話だ?」と問うと、「児童相談所の方がいらっしゃるまで、抱っこしてあげていてくれませんか?」などと返された。「駅長室にご案内しますので」と付け加えてきたが、そんなことをされても嬉しくない。二秒、いや、三秒、考えた。私は青年に総菜のビニール袋を手渡した。「たこ焼きを買ってこい」と命令した。


「た、たこ焼き? どうしてたこ焼きなんですか?」

「それだけの報酬で働いてやると言っているんだぞ。買ってこないと言うのであれば、私は依頼されようがそれを容赦なくかつただちに放棄する」


 青年は弾かれたように背筋を正し――なぜか敬礼まですると、走っていった。生真面目な奴だ。量産型の域は脱しないが。


 ――たこ焼きがやってきた。私は片腕で赤ん坊を抱いたまま、はふはふとたこ焼きを食べた。うまい。見返りに赤ん坊の様子を見守ってやろうという気にもなった。まったく安い舌であり、安い女である――否、優しい女の間違いか。


 ――ニ時間ほどが経過したところで、母親を名乗るニンゲンがやってきた。「ヤスオちゃん、ヤスオちゃんごめんね、ほんとうにごめんね?」などとのたまう。これは謝って済む問題ではない。私が咎めるより先に、初老と思しき駅長が叱った。「いま、警察を呼ぶからね」、「これは罪なんだ」と諭すように言う。まったくもって駅長殿は正しい。ヒトの命を一つ、捨てようとしたのだ。許されることではない。


 だが、母親は泣くのだ。涙を止めようともしないのだ。私に赤ん坊を預け返すと、「ごめんなさい、ごめんなさい!」と土下座までした。「もうしません、しませんから、警察だけは勘弁してください。お願いします!」と泣きながら訴えてきた。


 駅長が私のほうに視線をくれた。どうして私を見るんだとため息をつきそうにもなったが、私は母親に立つように言い、赤ん坊を抱き取らせた。


「二度とするな。それだけだ。駅長、いいな?」

「お嬢さんがそう決めたなら、それでいいさ。あなたは賢人なんだろう」


 お嬢さんと呼ばれる年齢でもないのだが、駅長ときたら、まったく、懐が深い。


 一旦、解散と相成った。私は量産型の駅員の青年に、今度は「シュークリームだ」と命令した。「え、えぇーっ……」と嫌そうな顔をした青年に、駅長が「買ってきてさしあげなさい」と、やんわり促した。


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