三十四ノ02
「少尉ほど素直で堅実で、実直で忠実な軍人を、俺は知らへんよ」
茶の間で麦茶を出してやって、それから出てきた楡矢の言葉はそれだった。
「キャプテン、か……」
「そう。もうくどいかもしれへんけど、とにかくキャプテンなんやわ」
苦笑のような表情を見せた楡矢である。
「パンピーが平和を謳歌してるなかにあって、俺たちは戦った。作戦っていう名のもとにおいて、結構、殺しもやったんやわ。ニッポンの自衛隊は大人しいって触れ込みは嘘やってわけや」
「それが、どうかしたか?」
「俺は傭兵や。しかも規律のとれた部隊の。もとは米軍やってんけどな。その折に知り合ったのが、キャプテンとイクミさんってわけ」
「多角的に思考すれば、それくらいの想像はつく」
「さすが鏡花さん」
「世辞はいい。それで?」
「部隊の隊長が死んだんや」
「それも聞いた。その理由を訊いている」
「某現地のキャンプ、子どもらと仲良くしてるところで、その子どもに撃たれた。うえからの命令やったんやとさ」
「そんなことで死んだというのか?」
「死んだよ。死んだんやよ」楡矢はがっかりしたように笑み。「それで、副隊長の……キャプテンの女やった副隊長……イクミがキレてしもた。すべての村人を殺せっちゅうお達しを出した。俺は止めた。止めようとしたんや。せやけど、行軍中、イクミ……ツゲ・イクミ少尉は、誰にも容赦せんかった」
私は表現できるだけの最大限の悲しみを、表情で示した。自分の――ひいては楡矢のためだ。
「そうなって、結局、おまえはどうしたんだ?」
楡矢は口元をゆがめた。ただ、泣いている。両の目からの涙は止まらないし、止められないらしい。
「殺すしかないやろ。誰が敵なんかわからへんし、実際、キャプテンはガキに殺されたわけやし。俺は副隊長に……少尉に惚れてたし。それでも俺は、俺はなぁ、鏡花さん、どうしたって、自分の行動が正しいとは思えへんかった。部隊のニンゲン……屈強なニンゲンは、やすりで削られるみたいにして、どんどん減ってったよ。そうなってしもた兵隊さんの末路ってわかるかぁ? ダウナー系のクスリをキメることだけ強いられて、ほったらかしにされるんや。イクミ少尉についていけへんくなった俺への新たな命令は、そいつらの警護やった。そのときにな、言われたんや。どこにでもいるようなジャーナリストのおっさんに、『おまえはそれで満足か? 他人様の土地を汚すおまえは何様のつもりだ?』って、言われてしもたんや」
楡矢は自嘲するように顔をゆがめ。
「おまえはそのとき、なんて答えたんだ?」
「マシンガンくれてやるさかい、カメラ寄越せ言うた」楡矢は笑った。「むかし見たアニメでな、そんなシーンがあったんや。せやけどまさか、自分自身にその現象が降りかかってくるとはなぁ……」
鼻の奥がつんとなったが、ここで泣いては、三上鏡花ではないのだ。
「そして、おまえは写真を撮ってまわったのか?」
「そういうこと」
楡矢はまた「あははっ」と笑った。
「どこにいるニンゲンも、戦争は嫌いなんや。そないな状況下にあるからこそ、より強いニンゲンとか、より発信力があるニンゲンを欲しがるんや。それがよくわかって、よくわかるさかい、その責任感にたえられへんで、俺は全部を投げ捨てた」
あまりに投げやりな言い方は好ましくない。だから「おまえにはおまえの考え方があったんだろう?」と助け舟を出してやった。
「俺はうざったいからめんどくさいからっちゅう理由で一から十まで放り出したニンゲンや。せやからこそ、イクミさんが顔出して、メッチャ取り乱してしもた。俺はこの国になんの愛着もない。なんの義理もない。なんの未練もない。せやけど彼女を始末するっちゅうのは、俺の役割なんやと思う」
私にくしゃくしゃと頭を撫でられると、楡矢は「かんにんな」と言って、また苦々しいように笑った。
「楡矢、何度だって言ってやる。おまえに押し倒されたら、私は拒もうとは思わんぞ」
「せやけど、俺は抱かへんよ。鏡花さんと俺がそういう関係になるのは、絶対に違うと思うさかい」
「だったら、私は一生、生娘のままだな」
「それはそれで尊いことなんちゃうかな」
両膝で歩みを進めてきた楡矢が、抱きついてきた。上半身をいっぱいに使って、がばっと抱きついてきた。軽々と受け止めるあたりが、私の力強さである。
「なんだ。甘えないんじゃなかったのか?」
「自分と相手との距離感の問題……。俺が死んだら、あなたは悲しんでくれるんかな、って……」
「悲しみはしない。――ただ」
「ただ?」
「刹那的に多少、残念には思うだろう」
楡矢は離れ、私の左の頬にキスをして、だから私はくすぐったくて左の目をつむって――。
「これからも、自由であってよ。あなたにそうさせへん世界なんやったら、いよいよ俺は、死にたくなる」
「気ままに暮らすさ。これまでも、これからも、な」
「帰るわ」
「ああ、帰れ。二度と来るな」
うしろから楡矢の漢字を確認――しようとしても、やはりなにも見えなかった吹き出しは浮かんでも、そのなかにはなにもないのだ。奴が唯一の人物だという証左である。事象をどう解決するのか、それは興味深いところだし、なにせ私は彼が嫌いではない。死なれると困るとは言わないが、いなくなると寂しいし、バツが悪い。イクミの漢字も見てやりたかったなと思う。狂った発言のとおり「楽」しいだったのか、あるいは「悲」しみの底に死んでいるのか……まあ、それはこの先、知ることになるのだろう――そんな気がする。
――私がその後、警察等からの事情聴取に応じなければならなかったことは言うまでもない。店を再開するまでには時間がかかるだろうとは思ったが、誰かがなにかを期待しているわけでもない。これを機に、ずっとほったらかしにしていたWi-Fiの環境を正しく設定してやった。電子レンジと干渉することはなくなり、快適になったのだった。