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彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
三十三.にべもなく、その女は
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三十三ノ03

あんまり生きてたくないなって考えてんねんよ。俺みたいな小物が長生きしたところで、やれることも残せるもんも、大したことないって(おも)てな」


 あまりに殊勝なことを述べる楡矢である。いよいよ落ち着いてきた私は文庫本に目を落とした。茶の間の端に座って店舗に脚を投げ出しているのはいつもの姿である。なんだかだるかったので両脚を楡矢の太ももに置いてやった。楡矢は私の足の甲を愛おしそうに撫でた。


「鏡花さんが考えてるより、俺はもうちょい、年上かな」

「まあ、そうなるんだろうな。自然的に把握できる事柄だ」

「いつまでも若くいたいとは思てるんやけど」

「だったら、その作戦は成功している」

「ホンマに?」

「ああ」

「おおきに」


 楡矢はどことなくつらそうに笑んだ。


「恐らくだが、いまのおまえとイクミがぶつかったら、おまえが負けるんだろうな」

「そのとおりなんやけど……っていうか、俺は彼女を潰してまで勝ち得たいものなんてないさかいね」

「私がかかっていたら?」

「うん?」

「イクミを殺さないと私を助け出せないのだとすれば、どうする?」


 宙に目をやった楡矢である。


「そうなった場合、俺はイクミさんを初めて殺せるんかもね」

「そう考えたうえで、適宜、そばにいろ。私は殺されたくはないんでな」

「せやけど、まともにやり合って、勝てるんかなぁ……」

「おまえのマスターなんだろう、イクミという、あの女は」

「そうやよ。ヒトの殺し方も、ヒトの楽しませ方も、彼女から習った」


 おおむね予想どおり、想像どおりの答えなので私は満足感を覚え、だからあとの会話はどうでもいいとすることに決めた。


「えぇーっ、鏡花さん、急に黙らんといてよぅ、こっちは必死なんやからぁ」


 私は右手の人差し指を立て、「一点だけツッコミを入れてやろう。それはおまえの都合だろう?」と指摘してやった。楡矢はがっくりと両肩を落とすと、「やっぱ愛おしいわ、鏡花さん」などと応えた。


「愛おしいなら抱いてみろ。私はそれを望んでいるのかもしれんぞ?」

「キャプテンはともかく、イクミさんは生きてるんや。現在位置を確認できた。俺はいまの自分に決着をつけられへんねやったら、本気で女に触れるわけにはいかへんよ」

「おまえのその考え方は、快楽を得ることとは乖離しているな」

「イクミさんはそれだけの女なんやよ。ああ、ホンマに、そうや。俺の憧れと希望のすべてが、彼女には集約されてる」


 腹立たしいとまでは言わないが、なんだか心外であるような思いは抱く。


「イクミさん……いや、あの女やわな。あの女がまた吹っかけてくるようなら、すぐに俺のこと、呼んだってや。じつはわかってるんや。あのヒトは悪いことをしたいだけなんやってこと。悪いことをして、まともな誰かに殺されたいだけなんや」

「それは、キャプテンとやらのせいか?」


 話を逸らすつもりなどないのだろうが、楡矢は遠い目をして、「あないな男がずっとおったなら、俺は生涯、そいつんところにおるわいさ」と言った。そのセリフだけで、その"キャプテン"とやらが、いかに重要かつ優れた人物であるかは悟ることができた。


「鏡花さんはすごいよ。軍人以外で他人を敬うことになるなんて、俺は思いもせんかったさかいな。なあ、鏡花さん」

「なんだ?」

「チュウ、してもええ?」

「だから、セックスにまで持ち込んでくれるなら、許可してやってもいい」


 楡矢は馬鹿みたいに笑い、「せやったら我慢する」と言った。私は異性から見ればむかつくくらい魅力的に映るはずだ。それでも抱かないのだとすれば、それはそう、そこにはなにかの意地があるからなのだろう。


「イクミさんが遊びたい相手は、やっぱ俺なんやろうな」

「そうなんだろうな」

「ああ、そうや。なんやかんや言うたけど、これで事は激しくなる。せやけど、これは俺の、俺自身の問題や」

「しつこいな。わかったよ。そもそもおまえが背負いこむ業だ」

「了解。任された。どうあれ上司の名に泥を塗りたくはない」

「私はおまえの死に後ろ足で砂を飛ばしたくはない」


 楡矢が右手を伸ばしてきた。


「セックスはせぇへん。キスも御免や。それでも、グータッチくらいは、ええやろ?」


 楡矢のグーに、グーで応えた。


 楡矢は立ち上がった。なんの挨拶もなしに、立ち去った。だからこそ、彼の過去が彼にとってどういうものなのか、その点、わかる気がした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)その人を現わす漢字一文字が浮かぶっていう現象、おもしろいですね。ありそうで他にない面白い設定だなと思いました。それにしても鏡花さん、濃い人生を生きているなぁ。 [気になる点] ∀・)…
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