表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女は脳にティアマトを抱えている  作者: XI
三十三.にべもなく、その女は
107/158

三十三ノ02

「もうそないなとこまで来てしもたんかね。俺としてはこのままでよかったし、このままの関係を望んでたんやけど」


 出してやった麦茶を一口飲むと、楡矢は――らしくない、イラついたように貧乏ゆすりをくり返した。


「ツゲ少尉。そんなふうに言っていたな? だからこそ、問おう。おまえはいったい、何者なんだ?」


 楡矢はしかたなさそうに笑うと、飲みかけのグラスを寄越してきた。それに口をつけてやると、「間接キスぅ」と笑った。


「元上司なんや、ツゲさんは。ヒトの目ぇ盗んで『イクミさん』って呼んだら、彼女は喜んでくれた」

「いつの話だ?」

「アフガンやったかな?」

「嘘をつけ。おまえの年格好から考えて、当時は――」

「場所なんてどうでもええってことやよ」


 私としたことが、楡矢の強い口調に気圧されてしまった。


「俺はツゲさん……イクミさんに憧れてた。過去形やないな。いまでも俺の根っこにあるのは、イクミさんの言動やよ。彼女がいるから、いまの俺が作られた。っちゅうわけやさかい」ここで楡矢は楡矢らしさを伴って、にひひっと笑った。「聞かせてよ、鏡花さん。あなたはイクミさんに妬けますかぁ?」


 私はアホみたいな質問だなと思い、「妬くわけないだろうが、馬鹿が」と言い放った。楡矢は笑った。「そりゃそうやよね」と言って、笑った。だが、まだ額に汗が浮かんでいることを私は見逃さない。


 楡矢はもう、笑わなかった。ジャケットの袖で、額の汗をしきりに拭った。「いろいろ、あったんやわ」と言い、「ホンマ、いろいろあってん」と続けた。それを受け、私は「だから、おまえがツゲ・イクミに惚れていただけだろう?」と質してやった。


 おかんとも友人とも恋人とも違う。ただ言うなら、「素敵な上司やった」と、楡矢は肩を落とした。


「ああ、メッチャ最悪。あのヒトの目につかへんやろうからって、こないな辺鄙な場所で生活するのを選んだっちゅうのに」

「想像するに、イクミはもう、退役したようだが?」

「せやろうね。――うんにゃ。俺より先におらへんくなってもよかったはずなんや」

「どういうことだ?」

「俺の上司はイクミさんやけど、そのうえにはまた一人、大尉がおってね。俺らはみーんな、『キャプテン』って呼んでた。事実、それくらい、度胸も度量もあるおっさんやったよ。彼については、おとうさんみたいなヒトやった」


「聞きようによっては、のっぴきならん話だな」


 私はそう言い、一口分だけ残っている麦茶のグラスを、楡矢に渡した。


「この先、聞きたい?」

「そうでもないと言ったところで、おまえは話すんだろう?」


 楡矢は申し訳なさそうに笑った。


「キスしたいとか、抱きたいとか、そういうんとはちゃうねん。ただ、俺は鏡花さんのことが大事やし、そうである以上、いつかあなたのことを巻き込んでしまう気がしてならへん」


 私は「はっはっは」と笑った。


「舐めてもらっては困るな。行く末、立場くらい、自分で決める。そこにおまえが干渉する余地はないんだよ、楡矢」


 楡矢は麦茶を飲み干すと、グラスを静かにレジ台に置いた。


「昔話や。ホンマ、どうでもええ、昔話なんや。せやけどそれを知っといてほしいって考えるんは俺のわがままで、俺の鏡花さんへの愛ゆえなんかもしれへんなぁ」

「おまえがおまえなりに、なんらか抱えていることはわかったよ。話してみろ。そうしてもらったところで、私の生き方が変わるとは思えんがな」


 すると楡矢は晴れやかに笑い、「イクミさんは、俺の初恋のヒトなんよ」と言った。「サイコーの初恋やと思う」と笑った。


 細かい貧乏ゆすりは、もう止まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ