三十一ノ03
その日、茶の間で迎えてやると、千鶴は両手でコップを持ち、麦茶を一気飲みした。「今日は暑いのです暑いのです」とのたまうので「今日もだろう?」と軽いツッコミを入れてやると、「そうなのです、今日もなのです」とすぐに少々、主張を切り替えた。
祖父の代から受け継がれている"祝! きずな商店街! ニ十周年!"と記されたうちわでセーラー服の胸に風を入れる。南部鉄器の風鈴がちりりんりんと涼しげな音を立てた。もうそれだけで気温が二度三度と下がりそうなものだが、千鶴は「暑いです、あっついのですっ」とくり返すばかりである。
「私は洗濯板でよかったのです」
「昨今、ジェンダーの問題に関して世の中がうるさい。コメントは差し控えよう」
「でもなのですよ鏡花さん、マリアナ海溝のように深い胸の谷間にかくであろう汗はうっとうしくありませんか?」
「じつは保冷剤を挟んでいる」
「それは非常に直球的な解決策なのです。感心してしまうのです」
「ニンゲン、いろいろと工夫しないとな。それで、訪ねてきた目的は?」
千鶴は新しい麦茶をコップにそそいだ。ぐびぐびと飲み干すあたりは公金をじゃぶじゃぶ使う向こう見ずな政治家を想起させる。
「昨日のことです。いきなりカイトがLINEを寄越してきたのですよ」
「私には縁がないが、そういうツールを使ってのコミュニケーションはあたりまえじゃないのか?」
「あたりまえではありますけど、それより鏡花さんもLINEをたしなんでみませんか? ガラホだからできるのですよ?」
「用がない。要らん」
「私は鏡花さんに用があります」
「話が逸れている。LINEがどうしたんだ?」
すると千鶴は、「カイトからこうあったのですよ。タケコプターの電池が切れたらどうなるのか知ってるか? って。えらく得意げな様子だったのです」
「その件については、心当たりがあるな」
でしょーっ! と言うと――千鶴は一転、しかめ面をした。
「どうせそんなことだろうと思いました。カイトという女のコはですね、世間知らずの大馬鹿者なのです。誰かからか聞いた話を真に受けて、他者に披露したがるのですよ」
私は腕を組み、肩をすくめてみせた。
「たしかにそういった性格はどうかと思うが、私が吹き込んだ考え方は事実だぞ。タケコプターはフェイルセーフだ」
「だったらと私は思うのです。それなら最初から二つつけていればよいのではありませんか? 片方の電池が切れたら、もう片方が動き出すのです。フェイルオーバーというわけです」
右手で後頭部をがしがしと掻いた私である。
「千鶴、その考え方は正しい。だが、そのへんをいきなり告げたところで――カイトはどうなると思う?」
肘を抱えた千鶴。
「どっちも正しいと答えるのでしょう。もしそう言われれば、私はまた答えるのでしょう。どちらの機能も持たせようとしたら、タケコプターの値段は著しく上がってしまうのだと。費用対効果です。あのコにはそのへん、理解できないと思うのです。だって、お馬鹿さんなのですから」
「同感だ」と私は頷いた。「くだんの猫型ロボットが裕福だとは思えん。なのになぜ、『どこでもドア』なる万能的ツールを有しているのか。私はだな、千鶴、奴はいいとこのおぼっちゃんなのではないかと考えているんだ」
「ロボットなのに両親がいるのですか?」
「いけないか?」
「いけないということはないのですけれど」
千鶴はクスクスと笑った。馬鹿にされたように思えた――なんてことはない。結構、賢い少女だ。私情よりも私欲よりも先に、頭の良さが勝って立つ。
「カイトの奴は、少々、心配だな」
「鏡花さん、それは考えすぎだと思うのですよ。なにかあれば真っ先に相談する。カイトのそのお相手は鏡花さんだけだからなのです」
私はまた、頭を掻いた。
「そうかね。男も女も近視眼的になってしまうと、終わりだと思うがね」
「でしたら、私から釘を刺しておくのです。というか、そういうことなら、さっさと我々で『工事』を済ませてさしあげませんか?」
「千鶴、『工事』とはなんのことだ?」
失礼したのですと言い、千鶴は立ち上がった。ぺこりと頭を下げ「鏡花さんの麦茶はおいしいのです」と述べた。にこっと笑いもした。単なるパックの茶なのだが、暑さがなにより味をひきたたせる。
――のち、カイトからメールがあった。
タケコプターの話、千鶴にしたらびっくりしてたぜ!
カイトの脳はお花畑だ。