三十一ノ02
カイトは今日もノースリーブの白いシャツに短い黒のスカートである。胸が大きいので、その双丘に茶色いサスペンダーは不本意な迂回を強いられている。ブルーのキャスケットは、いつものことだ。
「うげげっ、なんだよ、メチャクチャ紫じゃんか!」問題のスパウトパウチを手に取るなり、カイトは驚いてみせた。「って、これって『ケルベロスの煮込み』じゃないのか?」
「ほぅ。知っているのか?」
「どこかで聞いてどこかで忘れて、またどこかで聞いたような気が……」
「ああ、そうだ。私もそんな感じだ。まぁいい、飲んでみろ」
「えぇぇっ」
「せっかく冷やしておいてやったんだ。飲め」
「おどろおどろしいフォントで書かれてなかったら、とも思うんだけど……」
それはまあ、そのとおりだ。摂取する側に恐怖を与えるような包装はよくない。ただ、そうあるからこそ、妙な説得力を帯びているのかもしれないが。
「でもさ、『ケルベロス』だなんて書かれてなかったら、そうおかしな色でもないよな」
「ほぅ、カイトは良心的じゃないか」
「見た目で判断するのはよくないよ。わかった。ちょっと開けてみる」
カイトが吸い口の部分を捻って開けた。私はつい、指で鼻をつまんだ次第である。匂いを嗅いだだけで死ぬのではないか? とまで考えたわけではないが。
「あっ、やっぱりだ」
カイトは目を大きくしてそう言うと、中身をすすった。違う物体をくわえさせて大いにぺろぺろちゅうちゅうさせてやりたいところだが、いまはそういう状況ではない。
「なにが、やっぱりなんだ?」
「だってさ、鏡花、飲んでみろよ」
「……やむをえんな」
私はそれを受け取ると、ちぅぅとすすった。
……なんだ、これは。
「フツウのぶどう味のゼリーじゃんか。『ケルベロス』って、ぶどう味なのか?」
あっけらかんと言ってくれたカイトである。
「いや。これはどう考えても、原材料はぶどうだとしか思えん」
「でも、ぶどうが原料だなんて謳ってないじゃんか」
「ああ。やはり『ケルベロス』だと記されているな」
私は容器の裏の原材料名を改めて確認した。
「凍らせてもうまいとか書いてあるぜ?」
「ぶどう味のアイスになるだけだからな。まずいわけもない」
「マキナさんは変わったヒトだけど、そっかぁ、こういうことだったのかぁ」
カイトが細い喉を鳴らして、ごくごくと麦茶を飲んだ。おかわりが欲しいらしく、自ら立ち、自ら冷蔵庫に向かい、次をそそいで戻ってきた。
「ただな、カイト、こいつの売り方には、やはり問題があるんだよ」
「そうなのか? こういう商品名のこういう味だって言えば、なにも問題ないんじゃないのか?」
「もとは病気に効くとか主張していたのがまずい」
「だったら、今後、その部分は言わなきゃいいじゃんか。ぶどう味のエネルギー飲料だって触れ込みなら、問題ないだろ?」
ときどき、賢いことを言う。
「頭がいいらしいカイトに、問題を与えてやる」
「なっ、なんだよ、改まって」
「タケコプターを知っているか?」
「そりゃあ、まあ、知ってるよ。それがどうかしたのか?」
「当該機器で空を飛んでいる最中に電池が切れてしまったら……おまえはそんな疑問を抱いたことはないか?」
カイトは「へっ?」と目を点にし、だがそれから「そっ、そういやそうだな。電池が切れちまったら、どうなるんだ?!」と気が気でないような顔を寄越してきた。
「決まっているだろう。垂れ落ちたケチャップみたいになって派手に飛散して死ぬんだよ」
「や、やめろよ。ドラえもんに妙なリアルを持ち込むなよ」
「冗談だ」
「冗談なのか?」
「電池がなくなってきたら、徐々に高度が落ちてくるんだよ」
「あっ、そうか。たしかにそれだったら、なんの問題もないな」
「そういうのを安全側の設計と言うんだ。世の中の物は少なくともそういった意図をもって製造されている」
カイトは右の人差し指を顎にやり、「うーん」と唸ってから、「だったら、やっぱり問題ないじゃん、『ケルベロスの煮込み』って」と言った。
「しかし、こういう紛らわしい商品を国は嫌う。健全で潔白でいたいんだよ、ニッポンという国は」
「そうかもしれないけど、俺は気に入ったぜ。持って帰っていいか?」
「ああ、いいぞ。全部、くれてやる」
「やったーっ!」と大げさに右手を突き上げたカイトである。「きっと朝ごはんにぴったりだ。とうさんとかあさんにも勧めてみるよ」
「まともな大人なら口にせんと思うが?」
「飲むと思うぜ? フツウのぶどう味なんだからさ」
それはそうなのだが……。
「まあいい。すでにおまえのものだ。好きにしろ」
ありがとう!
カイトはダンボールを抱え上げた。
タケコプターの話、勉強になったよ!
そういうことらしかった。