三十一ノ01
ネット通販における自らの出品物――仕入れた本の売れ行きを確かめている最中に、偶然、見つけた。"ケルベロスの煮込み"なるスパウトパウチの飲料が掲載されていたのである。毒々しい紫色であることから、せめて中身が映らないようなパッケージにすればとも考えたのだが、「そんなことは気にしていない」とでも言いたげなある種の開き直りが窺える。出品者の名を確認すると"user1"、どうでもいいような文字列である。お値段は十パックで一万円。"病気に効く"とは謳っていないが、「ご健康を気遣う方にはオススメです!」などとは書かれている。まったくもって怪しい。
私は自前の黒いガラホを手にすると電話を入れる――マキナはすぐに応じた。彼女は『やっほぅ、鏡花ちん。なにかあった?』と今日も元気そうである。
「ネットで見た。この毒々しい紫色の飲み物はなんだ?」
『ああ、『ケルベロスの煮込み』のこと? まえにも言ったじゃん』
「いや、聞いた覚えがない」
『ううん。言ったよう』
「おまえの身の持ちようについて、私は説いている」
『わかった。いま、出先だから、終わったら寄るよぅ』
「いや。寄らんでいい。一言、注意してやりたかっただけだからな」
『寄るよぅ。鏡花ちんの顔、見たいから』
顔をしかめた私であるが、これ以上、「来るな」と言ったところで「行く」という回答しかないであろうことから、電話を切った、ぶちっと。
――マキナがやってきたので茶の間に通してやり、麦茶を出してやった。
「麦茶がおいしいのだ。今日も暑いのだ」
「黒いバイクスーツなんか着ているから、余計にそう感じるんだ」
あぐらをかいたままのマキナが、両手をうんと突き上げた。
「でも、この家は涼しいよねぇ」
「窓も玄関も開けっぱなしだからな。打ち水も一定の効果がある」
「エアコン、使ったほうがいいっていうよ?」
「だから、ウチは涼しいから大丈夫なんだよ。それでだ、マキナ――」
マキナは額の汗をハンカチで拭うと「わかってるよぅ。『ケルベロスの煮込み』の話でしょ?」と本題に乗ってくれた。
「あれ、じつは私の指示で行われている事業ではないのだよ。なにかあれば責任は私がとるけど」
「『ファミリア』だったか」
たしか、それがマキナの組織の名である。
「責任をとるだけだったら、阿呆の上司となんら変わりはないぞ」
「とらないよりマシでしょ?」
「おまえのことは愛せんな」
「でも、味は悪くないんだよ?」
「だからといって、飲む気にはならん」
「あっためるだけのスープタイプもあるんだけれど?」
「なんにせよ、喉に通そうとは思わんな」
ちょっと待っててね。マキナがそう言い、車が止めてある玄関のほうへと歩いていった。今日も派手なオープンカーでも乗り回しているのだろう。
マキナは"パソコン宅急便"と書かれた白い箱を抱えて戻ってきた。その名のとおり、ノートパソコンを厳重に運ぶにあたっては最適そうなダンボールである。
それを「よっこらせ」と畳に置いたマキナである。「見て見て」と言い、従い、箱の中身を覗いてみると、問題の"ケルベロスの煮込み"が入っていた。やはり、スパウトパウチである。きちんとしたデザイナーに依頼して作らせたようなおしゃれなロゴに見え――なくもない。どれだけ茶目っ気があろうが、紫色の液体がすべてを蔑ろにしている。
「飲んでみてよ、鏡花ちん。この箱ごとあげるから。冷蔵庫で冷やして飲むとおいしいんだ」
「冷蔵庫に入れるとほかの物が一気に腐ってしまうような気がするんだが?」
「そもそもケルベロスは知ってる?」
「犬だ。三つ首の犬だ」
「どこに住んでいるかは知ってる?」
「地獄の一丁目一番地だろう?」
「この近所に地獄があるらしくってね」
「嘘をつくな」
「鏡花ちんが知らないだけだよぅ」
とにかく飲んでみてね。マキナはそれだけ言って立ち去ったが、あいにくと私に体調の不安などない。逆に口にすることで健康を害してしまいそうな点のほうが怖ろしい。
誰か、毒見をしてもらえそうな相手は……。
千鶴にしようかカイトにしようか迷ったところで、カイトにしてやることにした。そのつもりはないのだが、千鶴をトッププライオリティにしているきらいがあるなと思ったからである。大切なのはバランスだ。電話をかけると、すぐに出た。「仕事は?」と問うと、『いま、昼飯食ってたとこ』と返事があった。
「帰りにウチに寄ってもらって、かまわないか?」
『うん、わかった。全然、いいよ。あっ、でも、その――』
「だいじょうぶだ。今日はイヤラシイことはせん」
ほっと息をついたようなカイトだったが、『あ、あう、でも、ちょっとそういうことも、してほしいけど……』などとも言った。
「そういうことなら、魔法の中指を使ってやる」
『あっ、い、いや、やっぱいい』
「どっちなんだ?」
『とりあえず行くよ。待っててくれよな』
「ああ」
物分かりがいい、じつに従順なカイトである。