三ノ02
開店からまもなくして、マキナが問題の人物を連れてきた。高校生くらいと思しき少女だった。とにかく目が大きく、その面積は顔の半分を占めているほどだと言っても過言ではない。どことなくつんけんしていそうな感がある。黒いスーツ姿なのはなぜだろう。ブルーのキャスケットをかぶっているのは――そういうことなのだろうか。髪もショートだから全体像としてはボーイッシュで、しかし胸の膨らみは小さくない。むしろ男好きのする身体だ。思わず鼻血を噴き出したくもなる。
「それじゃあ、私は仕事がありますのでー」
言うとマキナはくるりと身を翻した。つい「置いていくな」と言いたくなったが、相手をしてやると約束したわけだから、そうするしかない。一時的に店のシャッターを閉め、茶の間に通してやった。まるで嫌味かなにかのように出涸らしの緑茶も出してやった。実際に「初対面のニンゲンの前でも帽子はかぶったままか」と嫌味を言ってやった。――が、少女は正座をしたまま動かない。湯飲みに手を伸ばすこともしない。礼儀正しいのかそうでないのか、現状、判断はつかない。
向かいに座った私は、今度は嫌味でもなんでもなく、「帽子を取れ。でないと話はせん」と伝えた。「なにが出てこようが驚きはしないし、侮蔑もしない」と続けた。無論、本音だ、本心だ。
少女は睨みつけるようにして見てくる。なにを怒っているのか。なにが気に食わないのか。そんなふうに勘繰りたくなる。これまでの人生において信用できるニンゲンのほうが少なかったであろうことは予測がついた。
俯いた少女がぎゅっと目を閉じ、ついにはキャスケットを取り払った。藍色の髪の上にのっている藍色の大きな猫耳が、ぴょこんと立った。私は「ほぅ」と感嘆し腕を組む。口を突いて出てきた言葉は「興味深いな」というものだった。
「……だろ?」
「はっきり言え。聞こえない」
「変だろ?」
目を合わせてきた少女が、泣きそうな目をした。大きな瞳だから、ひとたび涙が流れだしたらあっという間にそこらじゅうに溢れてしまいそうな気がする。たらいを用意してやりたいくらいだ。
「年上、しかも初対面のニンゲンには敬語を使うべきだが、まあいい。名を訊こう」
「カタカナでカイトだ。男みたいな名前だろ?」
「いい名だと思うがな。そう睨むな。侮蔑などしないと言っただろう? 男みたいな名前だから、男みたいな恰好をしているのか?」
「いやらしい視線が、とにかく嫌なんだ……」
猫耳とデカい乳。コンプレックスは二つあるというわけだ。カイトは目を伏せた。「僕は」と言い、「僕は……」と言って、口を噤んだ。エロい身体の「僕っ娘」。じつに魅力的な記号だ。ベッドの上で堪能してみたい。そんなふうなえげつない衝動に駆られる。
「十六、七に見えるが?」
「十七だ」
「高校には通っているのか?」
「通えると思うのか?」
視線をぶつけてくる。眉を寄せ――怒っているように見える。ラブリーだ、はっきり言って。
「考え方次第だろう。ただ、目立ちたくないのはわかった。私が過ごしてきた人生はまだまだ短いものだが、その中にあって、おまえみたいな存在と出くわしたことはない。一度、心無いニンゲンに捕まってしまえば、ソッコーで有名人になってしまうだろうな」
「だろ?」
「ああ」
今度はぽろぽろと泣きだしてしまった。
「泣くなとは言わん。むしろ泣け。行動で思いを吐き出すことは肝要だ」
「ほんとうに、驚かないんだな……」
「おまえみたいなのがいてもいいと思うからな。親は? やはり猫耳持ちなのか?」
「僕だけだ。両親はずっと僕の面倒を見てくれるつもりでいる。だけど、そんなの悪いな、って……」
「だからといって怪しげな宗教に手を出すのはどうかと思うが、そのへんも自由ではあるな」
右の手の甲を使い、涙を拭ったカイト。また睨みつけるような目。本人にはきっとその気はないのだろう。デフォルトで目つきがキツいというだけだ。
「変わりたいんだ。強く、生きたいんだ」
「だから、それは考え方次第だ。なんとでもなる」
「友だちに、なってほしいんだ」
「信じるに値する。そう踏んだか」
「うん……」
「わかった。いいだろう。おまえはもう強い。感銘を受けた」
カイトは再び、涙をこぼす。私は二つの湯飲みを手に座布団から腰を上げ、台所で新しい茶を淹れた。出涸らしではないやつを振る舞ってやった。飲むなりカイトは「おいしい」と言い、初めて頬をほころばせた。
「話をしても、いいか?」
「ああ、かまわんぞ」
「マキナさんから、鏡花さんは処女だろうと聞いたんだ」
「事実だとして、それがどうかしたか?」
「僕は一生、処女なのかなぁ、って……」
「話が多少、飛躍したな。いったい、なにが言いたい?」
きゅっと肩をすぼめてみせた、カイト。
「一生処女は、嫌だ……」
「処女膜に価値などないと思うがね」
「そうじゃなくて――」
「わかっている。ほんとうは女をやりたいということだろう?」
「うん。恋はしてみたいんだ」案外、力強い目、口調。「難しいのはわかってる。でも、なんとかしたいんだ。……ダメかな?」
感心すべき前向きさである。
「ダメではない。さして難しい話だとは、私は思わんがな」
「どうしてだ?」
「猫耳好きは、世の中に一定数いるだろう。そうでなくとも、おまえは魅力的な身体をしている。だから――」
「い、いやらしい目で見られるのは嫌だって言っただろ?」
「だがおまえはいやらしい」
「う、うぅぅ……っ」
「やはり純愛がお望みか」
「う、うん」
「しかし年頃の男なんて、寝ても覚めてもエロいことしか考えていないぞ?」
「それは、そうなんだろうけど……」
「まさか恋の相談をされるとは思わなかったよ」
「ご、ごめん」
私は能力をオンにした。白い吹き出しの中で「猥」の字が躍ってっている。みだらな行為によほど興味があるようだ。思ったより事は深刻かつ切実らしい――オフにした。
「だが、残念ながら、おまえと年格好が似た男を、私は知らん」
「そ、それはいいんだ。自分で探すのも、きっと楽しいだろうから」
「そのとおりだろうな」
「でも、やっぱり難しそう……だよね?」
「まずは観察をしてみるというのはどうだ?」
「観察?」
「たとえば、近所の高校の前で男漁りをしてみよう。大丈夫だ。私が付き合ってやる」
カイトは驚いたようで、「えっ、えぇーっ」と目を白黒させた。「ままっ、待って、鏡花、じゃなくって鏡花さんっ」
「鏡花でかまわん。なにせ識別子でしかないからな」私は「ふん」と鼻を鳴らした。「大切なものはいつまでも大切にしたほうがいい。その点、処女性はどうだ? 遅かれ早かれであるわけだ。想い人ができたのであれば、とっととくれてやったほうがいいと考える」
カイトはなおも「あわわわ」と取り乱す。
「そそ、そんなに急いでいるわけじゃないんだ。好きな男なんて、そんなにすぐに見つかるわけがないし――」
「見つけようとしないうちは見つからん。そうだろう?」
「そうかも、だけど……」
「まったく、ほんとうにエロいな、カイトは。ゾクゾクする」
「エ、エロくないっ、っていうか、ゾクゾク!?」
「一つ言っておく。悪いようにはせんさ」
「う、ううぅ……だったら、がんばるけど……」
「ああ、そうだ。がんばってみろ」
私は手を伸ばして、カイトの頭を撫でてやった。カイトは顔を真っ赤にして下を向き、「誰よりエロいのは、絶対に鏡花じゃんか……」と言った。正論だ。そう。私は誰よりエロい。そういうことに縁がないだけだ。ふと楡矢の顔が思い浮かんだ。――が、私は奴みたいな馬鹿っぽいニンゲンに身体を許してやるつもりはない。私はガードが堅いのだ。東西冷戦時のベルリンの壁の破壊することくらいクリアのハードルは高い。