序
自らの考えを直接的かつ誇大的かつ主張的にもっともらしくのたまうニンゲンは、自分は個性的だと思い込み、実際は没個性的であることに気づいても無視を決め込む。自分だけは特別なのだと信じ込む。その滑稽な利己主義を得意げにひけらかす者さえいる。唯一無二のオリジナリティを気取る人物に限って、己を過信し、己を過大評価しやすい傾向がある。私は違う。何事にも確信犯的だというだけであって、それ以上でも以下でもない。著しく進歩的な思想だとは言えまいか。退廃的ないちゃもんではないだろう。
どうあれヒトは変化を続ける。私はこの世界を煉獄と定義しているが、それでも地球は自転と公転をくり返し、時間は前へと進み、それに伴い人類は進化してきた――わけだが、私は時折――否、いまもまた、自らは未来からの訪問者なのではないかと思わされている。自慢ではない。私的な真実だ。現代にフィットしていない。過去にも適合しなかった。神様の野郎が放り込む時代を間違ってくれたのだろう。私にふさわしいのはあくまでも明日だ。そこにはもはや不確実性すらない。柔軟で物分かりのいい脳細胞がそう囁き、教えてくれる。
だが、形式的には現代人であるわけだ。「いま」を「生きている」。ストレスを感じるケースもあるが、誰とも接しないで生きていくことなどできはしない。他者との接点においてミスコミュニケーションが散見されることはもはやしょうがないものと諦めている。「論理性を重んじて論理的に物を述べているつもりなんだがなぁ」と常々思っていても、私の口がひとたび滑らかさを増すと、途端に相手はきょとんとし、続いてにわかに引き攣った笑みをこしらえる。話が飛躍しすぎて戸惑うというより、話そのものについてこれなくなってしまうのだ。そこまではいい。ただ、変人扱いはやめてもらいたい――とは別に思っていない。好きなように断罪しろ。私は一向にかまわない。
――退屈すぎる思惟に侮蔑を覚え、その結果としてあくびが出た。
自由律俳句風に言うと「欠伸をしても一人」である。
私を取り巻く物理的環境には、何一つとして変化が見られない。
私は今日も今日とて茶の間――六畳間に敷いた紫色の座布団に尻を預けている。六畳間より五十センチほど床が低い店内に投げ出した脚を組み、店番を兼ねた読書に興じている。店――古書店だ。「はがくれ」という。言ってみれば、祖父の遺産だ。誰も継がないというから私が継いだ。ただ、文字に囲まれる生活は好きなれど、読書そのものは得意ではない。かったるいからだ。本屋の主人にあるまじきある種の失態なのかもしれないが、当該設定は生まれついての性質であるらしいためどうにもならない。ほうっておいてもらいたい。
ついに客――かもしれないニンゲンが入ってきた。学ラン姿の三人組だ。揃ってちらちらとこちらを観察している。私は脳内の"スイッチ"を切り替えて"能力"を"オン"にした。するとまあ、あら不思議、彼らの頭の上に漫画で言うところの吹き出しが発生したではないか。その中にきりりとしたフォントの「美」が出現する。三人とも同じだ。私には、そのヒトそのヒトがいま抱いている感情、あるいは思いが、漢字一字で見えるのである。彼らは私を見て「美」しいと感じてくれているわけだ。喜ばしく、また嬉しい限りである、はっはっは――などと腹を叩いて笑ったりはしない。超越者は簡単には感情を表に出さないものだ――としておこう。
私は本を脇に置き、立ち上がった。そしたらどうだろう。男子らの漢字が見る間に「揉」、「吸」、「挟」へと変化したではないか。私の胸の膨らみはぱんぱんに張り詰めた巨大な水風船のようなものなので――まあ、そういうことなのだろう。
「店を閉める。出ていってもらえるかね」
すっかり夕暮れ時だ。
もういつ閉店してもよかったのだ。
男子諸君はこくこくと頷き、慌てた様子で退散した。そう怯えなくてもいいだろうに。高圧的な口調に聞こえたのだろうか。ハスキーな声に驚いたのだろうか。あるいは「爆」の字が似合うくらいの乳房の凶悪さに気圧されたのだろうか。いずれにせよ、少々失礼な話ではある――なんとも思わないが。
がらがらりとシャッターを下ろし、店内に戻る。茶の間に入ったところで、ちゃぶ台に置きっぱなしだった黒いケータイが唸りを上げた。発信者を確認すると「千鶴」とあった。近所の学校に通う両性愛者の女子高生だ。
二つ折りを開け、「私だ」と通話に応じた。
『こんにちはです』
「こんにちはをですます調で言う。感心しないな」
『マイブームなのですよ。ご機嫌、いかがですか?』
「一日中、陰陰滅滅とした気分だった。現在と過去に絶望していたんだ」
『鏡花さんは未来人みたいなヒトですからね』
「そのことに気づかされた。シュワちゃんみたいなものだな」
『シュワちゃん?』
「そうだ。私はシュワちゃんだ。それで、なんの用だ?」
『明日、お店に伺います。お話したいことがあるのです』
「面倒事でないことを祈ろう」
『では、失礼いたしますなのです』
「ああ」
話を終え、二つ折りを閉じる。特徴がないことが特徴と言える千鶴は無駄口を叩くことが少ないので有望で賢い部類と言える――比較的というだけだが。
冷蔵庫から缶ビールを出し、栓を開けて一口飲んだ。冷たく細かい泡の感触が喉の奥で弾けて気持ちがいい。尊い事実であり、得難い真実だ。
さておき、脳内で今日を総括するなり、私は「やはり」と思うわけだ。
結局のところ、未来人たる私は誰にも理解されず、むしろ曲解され、その思考はいずれぐらぐらと煮えたぎる溶鉱炉の中へと沈みゆく運命なのかもしれないが、それでも心臓が動いているあいだは、おもしろおかしく生きようと考えている。
玉手箱は好きではないが、びっくり箱は嫌いではないのだ。