ジルとの出会い
トイレに住み着いてから二日が過ぎた。
あの腐った部屋にいるよりよっぽど眠れた。
この解放感。
この安堵感。そ
して心地のいい孤独感。
私は起きた後、トイレの中にある洗面台で顔を洗い口の中を濯いだ。
そしてもう三日も洗ってない髪の毛を水で濯いだ。
さっぱりした髪の毛を寝ている布団に擦りつけ、
多少のタオルとシャンプーとそして歯磨きセットがいるなと思った。
きっと私は人間ではない。
虫に体を支配された異星人。
でもこの地上にいるかぎり多少の常識を持つ。
あまりにも洗わない髪の毛は、なんだか脂ぎって気持ち悪いし、
口の中も磨かなすぎると、
なんだかザラザラネトネトしてやはり気持ち悪い。
私はそのままドアを開けて、
そして鍵を丁寧に閉めて、公衆トイレを出た。
蝉の叫びがどこまでも煩く、
太陽の光線はどこまでも暑苦しい。
私は無言のまま、公園を出てコンビニに向かった。
そこでタオルを二枚とリンスインシャンプーと歯磨きセットを手にした
。ついでにメロンパンとお茶、
インスタントラーメンを三つ手にした。
レジでお金を払い、コンビニを出ようとしたところで、
アイスが並んでいるボックスが目に止まり、足を止めた。
そこで一番安い六十円のアイスを手に取り、レジでお金を払い、
それを食べながら帰った。
コンビニの中で、何人かが私を訝るような目つきで見て、
あまりにも私を見るから、
私も視線を感じてそっちに目をやる。
目が合う。
慌てて視線を逸らすいくつかの目。
そんな目にも慣れてはいるが、
たまに思う。
もしかしてこの人達には、
私の中の虫が見えてる?
もしかして私が気づかないだけで、
私の中の虫の数匹が私の鼻から、
耳から、目から顔を覗かせている?
そうかもしれない。
どうでもいいけど。
それにしてもこの冷たいアイスは美味しい。
ひさしぶりに食べたかもしれない。
アイスを舐めながら公園に入る。
私は自分の居場所の鍵をポッケから探る。
それを掌で握りしめる。
公衆トイレの目の前に来たところで足が止まった。
誰かがその前で座っている。
金髪の髪の毛が見える。
私の中の虫がざわりと動いた。
私は慎重に足を進めた。
私の足音に気づいたらしい金髪が顔を上げた。
ポニーテールの金髪が馬の尻尾のように揺れる。
私の知っている金髪ではなかった。
ほっとする私。
虫がおとなしくなる。
その女子は昔流行った
女子高生のようなメイクで私を見る。
偽物の長い睫毛を目の上でパチパチとさせ、
目の周りはやはり真黒。唇のオレンジが艶やかに光り、
肌は黒い。
目の上の瞼はまさに絵具で塗ったかのような鮮やかなブルーが映える。
そのコントラスト
まるですごく綿密に考えられたデッサンのよう。
そして頭の上の大きな赤のリボンがそれをよけい浮き立たせているよう。
その目が私を見て微笑む。
「もしかして、あんた? あそこに鍵付けてるの」
公衆トイレの中を指差す。
私はそれに答えない。
「あっしさぁー、あっしも前から狙ってたんだよねー。
あの場所。なのにさー今日来たら鍵が取り付けられてるんだもんねー。
早い者勝ちだってぇー。
やだ、やだ、あのねーお願い。
あっしもあそこに入れてー。
だってさー公衆トイレだもんねー。
公衆トイレの意味知ってる?
みんなのトイレって意味だべー。
だから一人占めしちゃいけないの。
分かるぅー。うん、でも、
鍵を取り付けるっていいアイデアだべなー。
あっし一人だったら気付かなかったかもしんねぇ。ヒャハハハ」
白い唇を大きく広げてその女子は笑った。
私はそれを無視して、
公衆トイレの中に入る。そ
の女子も私の後を着いてくる。
個室のトイレの前で、
掌に握りしめていた鍵で鍵に刺し込んで廻す。
かちゃりと音がして鍵が開く。
この瞬間の気持ちよさ。
物体と物体が重なり合う瞬間、
数ミリの狂いもない構造。
個室トイレの前でゆらゆら揺れているこの金属の物体は、
私が握りしめているこの鍵にしか反応を示さない。
穴にも入れない。
その潔さ。
その清らかさ。
人間も見習えよ。
鍵を開けて、
ガラガラとドアを引く。
自分の体が個室に入ったところで、
閉めようとドアを左に引くと、
何かに邪魔をされて閉まらない。
見ると女子がドアのところにいて、ドアと壁に挟まれている。
「痛いってー。あっしの体はターミネーターじゃないつうの。
てか、あっしうまい。ウケル」
そう一人で呟きながら怯んだ私の隙を狙って、
女子の体はドアを押しのけ、個室の中にするりと入ってきた。
そしてさも当り前のような顔でドアを閉める。
「うん、二人で十分の広さだねー。ってなんでやねーん。狭いわっ」
そう言った後、女子はまた私の顔を見つめて。また大きく口を開く。
「うん、でも仕方ないべー。二人で一つってかぁー。つか意味わかんねえし」
そう言いながら腰を屈め、手を叩いてけらけらと女子は笑う。
そしてすぐに丸めていた腰を伸ばし女子が続けて言う。
「布団一つしかないかぁー。まぁ寝れるっちゃー寝れるべー」
女子は布団の上にドカンと腰をおろし、
ぼんやりと突っ立ってる私の手のナイロン袋を目にし、それを自分の手に取った。
ぼんやりしてる私の手からナイロン袋が離れる。