第三章 メルキド侵攻 第九話
「ひるむな。進め!」
前線では小隊長が声を限りに叫んでいた。しかし、小隊長に答えたのはわずかな兵だけで、あとは矢が近くの地面に突き刺さるたび、仲間の兵士が矢に倒れるたび、地面に這いつくばり丸くなっていた。
「立ち止まるな! 的にされるぞ!」
先任の古参兵が軍事教練から卒業したての若い兵士を叱咤した。戦況はワイバニア圧倒的優勢の中、ワイバニア軍自身が攻撃の手を緩めてしまうという尋常ならざる事態が起こっていたのである。
前線の歩兵部隊が立ち往生している中、後方から騎兵一〇〇〇が来援した。
「進め進め! 何をしている?」
遥か後方にいるはずの指揮官の声に前線のワイバニア兵達は一斉にヒッパーの方を向いた。騎兵隊の先頭にいたヒッパーが槍を高く掲げ、戦場に響き渡る大声で叫んだ。
「勝利は目前だ! 今がチャンスなんだぞ! 破城槌および、破城鉤用意。 はしごもだ! 勝負をかけるぞ、突撃だ! 我に続け!」
ヒッパーは歩兵部隊に道をあけさせると、騎兵隊を率いて突撃していった。
ヒッパーのとった行動は戦術的には誤りだったが、練度の低い兵士を鼓舞するには指揮官が陣頭に出るしか、方法はなかったのである。
「お前ら、軍団長が前線に出てきたのに、まだ地面に這いつくばっているつもりか! 立ちあがれ! 軍団長を死なせるな! お前達のために前線に出てきてくれたんだぞ!」
敵方の矢が尽きかけてきているとはいえ、未だ降り注いでいる矢の雨にさらされながら、ワイバニア軍の分隊長は部下に叫んだ。この分隊長もまた、兵士を率いた経験はない。部下の心情を察するには、彼はあまりに若すぎた。だが、一兵士として、自分たちのために命を危険にさらして前線に赴いた軍団長の気持ちは痛いほど察することができた。
「立つんだ。前に進め! 俺がお前らを守ってやる!」
分隊長は言った。兵士達はそれが気休めでしかないことは分かっていたが、立たない訳にはいかなかった。自分たちを精一杯守ろうとする彼の気持ちを無視することはできなかったからである。
兵士達は矢の雨に負けず、一人一人立ち上がると、城壁に向かって突進していった。