第二章 戦乱への序曲 第三十六話
「貴公は、先ほどじっと目を伏せていたな。何故だ」
「大したことは無いさ。ただ、恥ずかしくてね。君もやらなかっただろう? あの万歳三唱」
ヨハネスは眼鏡を上げると人懐っこい笑顔を浮かべて言った。
「あのような茶番に付き合うのは私の美学に反する」
君らしいなとヨハネスは笑った。ハイネはヨハネスに近づくと肩越しに言った。
「皇帝と右元帥に関わるな」
ヨハネスは目を見開いた。ヨハネスの眼鏡が怪しくきらめいた。
「どうして、それを?」
小さいが、殺気のこもった声でヨハネスはハイネに尋ねた。
「私の目は節穴ではない。それに皇帝陛下崩御の一件、あの二人がからんでいることも知っている。二人とて馬鹿ではない。これ以上動き回ると、貴公の立場どころか、命すら危うくなるぞ」
ヨハネスはハイネへの警戒心を解いた。ヨハネスは笑顔を浮かべ、ハイネの肩を叩いた。
「わかった。ありがとう、ハイネ。それから……」
ヨハネスはハイネに小さく耳打ちした。ハイネはその言葉に驚き、ヨハネスに顔を向けた。
「貴公……」
ハイネは目を伏せると、長く美しい金髪をなびかせ、廊下に消えていった。
夜も更け始めたころ、白晶宮皇帝の寝所、昨日まで父が眠っていた場所に、新皇帝ジギスムントはいた。
「これが皇帝の寝台か。何とも寝心地の良いものだ」
「権力者の椅子に、権力者のベッド。ご満悦ね。ジギスムント」
「だが、まだ早い。俺たちのまわりを飛び回る虫がいるのでな」
ジギスムントは皇帝のためだけにつくられたベッドに腰掛けた。
「それはヨハネス? それとも、ハイネ……?」
「それはな……」
皇帝達が密事をめぐらせているなか、ヨハネスは帝都ベリリヒンゲンの酒場にいた。上級貴族である彼には似つかわしくない場所であったが、軍団長の職について以来、彼はこの酒場に通い続けていた。