第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百六九話
戦場を臨む斜面にひときわ大きな馬車がある。メルキド、フォレスタル連合軍総司令部であった。
「ピット卿……」
遠眼鏡越しにメルキド公国総帥スプリッツァーはフランシスの背中を見つめていた。彼はじっと待っていた。大作戦の決行のときを。それはフランシスの死に他ならない。スプリッツァーにとっても同盟国の宿将は敬愛する存在であった。好きこのんで死を待つ訳ではない。この瞬間が永遠に終わらないでいて欲しいという気持ちと総司令官として攻撃を決断しなければならないという義務感との間で彼は板挟みになっていた。スプリッツァーは静かに右腕を上げた。
「できる娘御じゃのう……。フォレスタルでもお主ほどの槍の使い手はおるまいて」
フランシスはマレーネの構えに舌を巻いた。ハイネに苦もなく倒されたとはいえ、それはハイネの剣の才がフランシスに匹敵するかそれ以上のものであるだけであって、彼女が弱いということにはならない。個人的武勇に特に優れた大隊長格が束になっても、マレーネには敵わないであろう。
「ありがとうございます」
賞賛の言葉に礼は言っても、表情は崩さない。英雄に対するマレーネの礼儀だった。
「では……」
「はい」
一瞬の光景に取り巻いていた兵は何が起きたかわからなかったであろう。次の瞬間、肉を割く音が聞こえ、彼らは全ての決着がついたことを悟った。
彼らの目に映ったのは、互いに身体を密着させた将が二人。一人は鮮血を吹き出し、地面に血だまりを作り始めていた。
「見事……」
口から血を吐きながらフランシスは言った。
「ピット卿……」
フランシスの顔から生気が抜けていくのが分かる。あとは死んでいくだけ。ワイバニアの聖母は彼の血で濡れた槍から力を抜いた。
(紙一重で勝てた)
マレーネはフランシスに突きを繰り出す刹那、槍を引いていた。このため槍をはじき飛ばそうと剣を振るったフランシスにわずかな隙が生じ、二度目の踏み込みで、フランシスの胸を貫くことが出来た。達人レベルでしか視ることが出来ない一瞬の攻防。マレーネはこれを制すことが出来た。
「最後に戦えたのがお主のような娘御とは……。じゃが、これでむごたらしい死をお主に与えずに済む」
「何を……」
尋ねかけたマレーネは悟った。連合軍の悪魔的な戦術の全貌を。そして、ワイバニア軍がどれほど危険な位置にあるかということを。だが、マレーネは声を上げることが出来なかった。フランシスが密着したマレーネの背中に剣を突き立てたのである。