第六章 ミュセドーラス平野大決戦! 第百三七話
ワイバニア軍全軍、ミュセドーラス平野に集結す。それをいち早く確認できたのは、ワイバニア軍の諸将でも、作戦を立案したタワリッシでも、ヒーリーでもなく、連合軍本陣で指揮をとっていた連合軍最高司令官スプリッツァーだった。
「ついにこのときが来たか……」
スプリッツァーは身震いした。三軍合わせて十六個軍団、これほどの軍勢が同じ場所にひしめき合うことは史上かつてない。タワリッシやヒーリーが前線に立った今、これを後方で目の当たりに出来たのは彼しかいなかった。そして、その空前の作戦を指揮できるのも……。
「ぐっ」
あげようとする右手をスプリッツァー鉄の意志で抑えつけた。まだまだ足りない。ワイバニア軍を地獄の釜にたたき落とすまでは、時間も準備も足りなかった。
「伝令を出せ。敵軍が我が軍かフォレスタル軍のどちらかに攻撃を開始したら、作戦の第一段階に移る……とな」
スプリッツァーは一〇〇名を超える伝令を出して、各軍団に作戦の開始を伝えた。史上最大の作戦その第一幕が開けようとしていた。
ワイバニア軍とフォレスタル、メルキド軍が激闘を繰り広げていた頃、戦場から遠く離れたワイバニア帝都ベリリヒンゲンにて、ごく小さな戦いがあった。
ワイバニアの医家、ハルトムート・フィッシャーの邸宅に忍び寄る黒い影。往来を歩く人々にも、誰にも気づかれることなく、彼は侵入を果たしていた。
先日の愚を繰り返してはならない。彼は一度獲物を取り逃がしている。今度こそ、確実に目標を殺す。彼は短剣を手にすると、屋敷の中を疾走した。侵入してすぐ、彼はある違和感を抱いた。主の書斎、客間、ベッドルーム。どこにも目標はいなかった。目標だけではない、屋敷には誰一人として存在しないのだ。使用人も、主も。ワイバニア屈指の医家にしてはありえないことだった。
「知りたいか?」
彼が疑問を抱いたのと、時を合わせるかのように、その答えを知る者が彼の前に現れた。
「ハルトムート・フィッシャー……」
ハルトムートは笑みを浮かべた。それが何を意味するか影には分からなかった。医師という職業からはおよそかけ離れた酷薄な笑みに、彼は挑発以外の何も感じなかった。
まだ殺しはしない。目標の居場所を吐かせてから切り刻んでやる。フリードリヒ・フォン・ヘンデルは地を蹴ると、ハルトムートへ距離を詰めた。
その時である。ヘンデルの横にあった壁が崩れ、白髪の大男が飛び出した。